まずは自己防衛

 人は、人と繋がり合っている。
 だが、自分を全開して成り立つ関係ばかりではない。でも、それでい
い。
 だって、もし、この世に、心持ち、考え方などが完全に私と一致する
人間がいたとしたら嬉しくないし、この世がそういう人だらけなら楽し
くないだろう。
 違うから、楽しい。
 ただ、価値観が違いすぎるのも、つらい。
 その場合でも、この分野なら共感し合える、という土俵を探して、そ
の輪の中で笑顔のひとときを分かち合おうと努力する。
 生きる知恵である。
 しかし、今回、私にストレスをもたらしたその人はそうではなかった。
彼との関係が純粋に私的なものだったら、私は、即刻、彼を切っていた。
 そうできないので、彼の話に耳を傾けた。
 でも、適当に話を合わせるのではなく、ちゃんと私の意見を述べた。
いい加減に頷いたら、彼の意見に賛同したと受け取られる。冗談じゃな
い。聞き捨てならない暴論には真っ向から刃向かう。
 彼の周りはどこまでも彼をおだて褒めそやす人間ばかりだったからか、
そんな私は彼から歓迎された。
 人の善より悪の話に目が輝く彼。一方、自分と家族のことは自慢しす
ぎて鼻が膨らむ。ところが、自分の身勝手を押し通す邪魔になった途端、
愚痴と批難で家族を敵に回し、そうまでして、目指すは自己の正当化。
 論理はねじ曲がり、倫理観もなければ、心の清らかさの欠けらもない。
 聞いていて、実に不愉快。
 その手の話を、先月、彼が相談と称して持ちかけてきた。これまでに
聞かされた揉め事はどれも過去の話で、今さらどうしようもないという
点でお気楽さがあったが、今回はまさに現在進行中の話。
 ゲスな話だと察知して、私は耳を塞いだ。
 すると次の時、彼は戦法を変えた。
「権利と義務ってあるよね」
 と切り出す。
 十分すぎる義務を引き受けている自分だから、この程度の好き勝手は
権利として許されるはず、と話を展開する気なのは見え見え。
 だいたい、私は、
「なんでもよく知ってる菊さんの意見を聞きたいんだけど」
 と前口上で名指しされ、すでにカチンと来ていた。
 私がそんな言葉を真に受けて舞い上がる人間だとお思いかい。馬鹿に
おしでない。
 しかも、私が決然と拒絶した話を蒸し返す。
 この三年間、彼の邪なる屁理屈には全身全霊で反駁し、決して屈服し
ない私であると学んでいれば、話したところで、また私から軽蔑される
だけだとわかるだろうに、それでも話を吹っかけてきて、一体、何が目
的なの。
 私は叫んだ。
「それは、いじめか」