私の肩関節周囲炎

 六月の末に、突然、右肩から下に向かう右腕の上部に違和感が生じた。
 皮膚の内側から立ち現われる変な感じ。筋肉がおかしなことになった、
と言いたいような感覚である。
 翌日には、腕を動かそうとするとグキッという音。
 腕がスムーズに動かない。
 使い痛めかなあ。
 なるべく動かさないようにしよう、と思っても、三角巾などで固定し
ない限り、どうしても動かしてしまう。
 腕が上がらなくなりそうな予感は、次の日には現実となり、湿布薬を
貼って寝るも、効果は不明。
 Tシャツのように頭からかぶる服は着られないと直感するし、実際、
着ようとして身体の前で手を交差して上下すると、右腕がきしんで抵抗。
 放置はまずい気がして整形外科へ。
 違和感自覚後、十日目である。
 レントゲン写真では、骨に異常はない。
 パソコンに向かう時間が長すぎて、肩周りの筋肉が凝り固まってしま
ったのかも。いわゆる四十肩、五十肩。
 診察後、リハビリ室で、三十分ほど右腕周辺の筋肉を揉みほぐしてく
れ、最後に、家でできるエクササイズを二種類伝授された。
 一つ目は、背中側で両手を組み、肩甲骨に寄せるようにして上に上げ
る動作。
 二つ目は、右手を右肩、左手を左肩に軽く当てた状態で、それぞれの
手を上に持ち上げ、下に降ろす。肩を起点にぐるぐる回す。
 どの場合も、肩をいからせないよう注意する。
 安静ではなく、積極的に動かすのが正解だったのである。
 腕をぐるぐる回すのは、腕が上がらないし、思わず「痛い」と声が出
たが、忘れないように簡単な絵を描いてください、と無茶なことを頼ん
で、描いてもらっている間もやっていたら、痛いながらも回せた。
「あ、回せましたね」
 立った時、耳が肩の上に来ておらず、正しい姿勢でないことも指摘さ
れた。
 治るまでに一ヶ月の人もあれば、六ヶ月以上かかる人もいるとか。
 じゃあ、私は。
 リハビリは完全予約制ということで、最短で取れたのは二週間後と三
週間後。
 家で、さほど熱心にではなく、教えられたエクササイズをしたりして
いたら、わずか二日目にして、右腕の外側の一箇所に張りを感じるだけ
になり、それも夕方には解消。
 治っちゃった。
 こんなことなら、リハビリの時、目を閉じて身を任せていないで、理
学療法士の施術を盗み見しておけばよかった、などと思いつつ、薬なし
でかくも呆気なく回復したことに、きょとん。
 リハビリって、気休めじゃなかったのね。
 ごめん。
 ありがとう。

思いは言葉にできてこそ

 友達が無性に生クリームが食べたくなり、家で生クリームをホイップ
して、ボールいっぱい食べたとか。
 すごいなあ。
 生クリームという限定でそういう気持ちになるのが理解できないが、
じゃあ、家で作ろう、と対処できるところがすごい。
 ハンドミキサーという文明の利器を頼っただけだろうけど、そうでき
るのは菓子作りが趣味の人の強味である。
 この話に触発されたのか、私は久しぶりにパフェが食べたくなった。
 それを実現する前に、この友と会い、ランチが目的だったが、そのあ
と、私は「パフェを食べたい」と宣言。
 喫煙可能の店に遭遇したくないなら、安全なのは百貨店。
 そのほぼ各階にある喫茶を覗きつつ、下の階へ。
 ランチの時は何料理でもかまわない、と友に全権委任し、自分が決め
るのかと戸惑う友に、
「こだわりたい時はちゃんとこだわるから」
 と付け加えたのであったが、まさしく、パフェに関しては、その言葉
どおりになった。
 ようやく抹茶パフェのある喫茶が見つかる。
 しかし、食品サンプルのパフェを見て、
「なんで、何か違うと思うんだろう」
 と呟いたら、友が、細く長い首状の部分に詰まっているのがゼリーだ
し、もっと言うなら、上に載っているのが、バナナやオレンジや桃や苺
などの果物類ではないからではないか、と指摘してくれて、
「おお」
 私が求めているパフェのイメージがはっきり具現化されたのであった。
 そうとわかったら、ここでこれを食べても、きっと気持ちは不完全燃
焼。
 友がスマホで近くのパフェの店を探してくれるが、そこまで行って喫
煙可能だったりしたら立ち直れないので、パフェは諦め、私が知ってい
るケーキの店に行った。
 俳優の知乃が三年前に演出家の市原幹也からセクハラを受けたと発表
し、告発された市原がセクハラを告発されてどう後悔したかのインタビ
ュー記事が、先日、新聞に載った。その横には、それを読んだ知乃の投
稿。
 その中で知乃が、ニホン人は性的接触の合意形成に言葉を尽くしてこ
なかったのではないか、と問題提起していたのが心に残った。
 うまく言えないけれど、感じていることはある。
 それは、他者に忖度されるべきではなく、まずは自分の言葉で言語化
できないと、他者を説得させられないという以前に、自分自身が消化不
良の気持ちを抱き続けることになるのではないか。
 思いは、言葉で言い表わせてこそ。
 初めに言葉ありき。
 それが私達人間だから。
 ああ、それにしても、正統派のパフェよ、君はいずこに。

私にできること

六月十九日、前日の大阪の地震を知ったとフランスの友人達からメー
ルが来た。
 友人の一人がインターネットの新聞記事で読んだと書いてきたので、
ああ、やっぱり。
 私はインターネットでフランスのテレビニュースを見たが、どの局で
地震の報道がなかった。
 この友とスカイプで話した時、閃いて私は言った。
「フクシマみたいな地震でないと、テレビで報道しないのかも」
 しかし、定員オーバーのゴムボートでリビア沖まで来たアフリカ難民
をイタリア政府が拒否したニュースは、フランスでは大々的に取り上げ
られても、日本は無視。
 事の軽重は、皆に一様とはならないのである。
 この地震の時、私は路上にいて、思わずしゃがみ込んだ。
 が、揺れはすぐ治まり、駅まで来ると駅構内は真っ暗。人々が改札口
を取り巻いている。それを横目に歩き続ける私は、家に戻った方がいい
かどうかで頭を悩ませている。携帯電話はインターネットに繋がない契
約にしてあるので、地震の詳細がわからないのだ。
 そのまま歩き続けて、大学病院に行った。
 病院の機能は半減し、私の担当医はいつ来るかわからない。
 が、待合室のテレビでNHKが見られるので、食い入るように見る。
 待合室の壁際のソファーには、座らないようにという張り紙がベタベ
タ。壁の隅からコンクリートが剥がれ落ちている。が、そこから遠いソ
ファーには、人々が当たり前に座っている。
 私の番号が表示された。
 代理の医師の診察になるんだろうな、と思いつつ扉を開けたら、涼し
げな顔で私の担当医。
 普段でも予約時刻よりかなり遅れるのに、この日は待ち時間が圧倒的
に短くて済んだし、支払いもあっという間。
 地震のおかげ、と言うしかない快適さ。
 家はガスは止まっていた。
 そう書いて送ったら、友の一人が復旧の仕方を書いてきてくれ、やっ
てみたら三分で復旧。
 皿類は一枚も割れていない。
 そして今朝。
 ゴミを捨てに降りたが、片足が不自由で杖をつきながらゴミ出しに来
る高齢男性と遭遇できない。
 初めて会った時、ゴミ置き場まで数メートルだったが、私は彼のゴミ
を引き受けると申し出、彼は恐縮したが、決行した。
 二度目も彼は「こっちのゴミは自分が」と言うが、全部私が引き受け
た。
 三度目は素直に礼を言うと、私が戻ってくるのを見届けずに道を引き
返した。
 私は嬉しかった。
 私に出来ること。
 今度会えたら、その時刻を覚えよう。
 彼と遭遇しやすくなるはずだから。

どう死ぬか

 おじが長年の喫煙のせいでCOPDになり入院した頃から、私は死に
ついても語る医療関係の本を読むようになった。
 が、おじは人工呼吸器と口以外からの人工栄養という延命治療状態で、
聞き取れない声をかすかに喋るぐらいでも、喋れているから、まだ死ぬ
べき時期ではない、と私が考えるようになったのは、今思えば、私に圧
倒的に医学の知識が欠けていたせいだ。
 その少ない知識で編み上げられる誤った幻想。
 私は、「人の死は脳死」という言葉が強力すぎて、人は脳が機能を停
止しないと、つまり、喋れない、意識があるかないかわからない、とい
う状況になってからしか死なない、と勝手に信じてしまっていたみたい。
脳死」より「心肺停止」の方が遙かに多く見聞きするのに。
脳死」は、それにより、その人から臓器をもらいたい時だけに発生す
る特殊な死亡要件にすぎないのに。
 ところで、片肺が機能せず、息苦しさを緩和する術もなく徐々に衰弱
するおじを見て、心臓と肺なら、心臓の病気で亡くなる方がまだましだ、
と想像したとしたら、これもまた「無知の罪」になるだろうか。
 なんにせよ、人は、喫煙で肺が壊れなくても、肺癌などでも、息がで
きない苦しさに耐えて死ぬしかない場合がある。
 ただ、それらは自分ではどうしようもない病気である。
 だからこそ、煙草のせいでそうなったおじは馬鹿だ、と思わずにいら
れないのだった。
 そして、おじが尿が出なくなっても点滴をやめてもらえなかったのは、
煙草のせいで死ぬ人への治療という名の懲罰行為だ、という風に私が考
えてみたのは、もちろん、点滴でからだが無残にむくんで死ぬことにな
ったおじが哀れで、そう考えてみただけのこと。
 だって、おじは、治らないことが前提の慢性期病院にいた。
 なのに、穏やかに死なせてもらえなかった。
 ということは、退院できる前提の急性期病院で死ぬことになったら、
例外なく、心肺停止のその瞬間まで、回復するという前提で治療され続
けるのではないか。
「もう点滴はやめてやってください」
 と家族が言ったら、やめてくれるかなあ。
 それだと病院は単にベッドを貸すだけになり、診療報酬が稼げないか
ら、じゃあ、自宅にお連れください、と不可能なことを言うのではない
か。
 どう死にたいか。
 銃で撃たれるとか、呼吸不全で死ぬにしても、病院のベッドではなく
川で溺れる方が苦しみが短時間で済む、と憧れてしまう私は変だろうか。

煙草で死ぬ時

 先日死んだおじは、喫煙が原因で肺気腫からCOPDになり、鼻チュ
ーブ、カニューラでも呼吸困難になって救急車で運ばれ、その後、一度
も家に戻ることなく、九ヶ月後に命を終えた。
 何度か見舞いに行ったが、ある日、病室の廊下まで近づいたら、便の
臭い。
 すぐにおむつ交換専門の人達が出てきたから、そういう時間帯に行き
合わせてしまったらしい。カートの周りには何重にも巻かれたビニール
袋。中は見えない。それでも臭いは漏れるんだなあ。
 食べて、出す。
 生きている証拠である。
 だが、おじは口から食べるには人工呼吸器を一時的に外さねばならず、
そうしているあいだに呼吸不全に陥るから、口以外からの強制栄養補給
だと、そういう独特の便の臭いになるのだろう。
 そして、頻繁なる血液検査。
 肺炎にかかれば、抗生物質
 もう駄目そう、と医者が告げ、しかし薬を処方すると、おじのからだ
は素直に反応するらしく、持ち直す。
 おじは、言葉が喋りづらくても、話せる。そうであるなら、胃瘻の代
わりの鼻チューブで栄養を送るのも、太ももから中心静脈に栄養輸液を
注入するのも、延命治療とわかっていても、しない選択は、私が家族で
あってもできなかっただろう、と思うようになった。
 何より、おじ自身がそういう状態でも生きたいと思っているのだろう
し。
 ところが、おじの死後、 
「何言ってんのん。何回、殺してくれって言われたか」
 と、おば。
 言われるたびに、そんなことをしたら私が殺人で捕まる、と返したそ
うだが、苦しげなおじを見ているのは辛かったとか。
 顔を覆おう人工呼吸器に圧迫され続けた鼻は骨が剥き出しになり、腕
は採血しすぎて日焼けしたみたいな色。死の二、三日前から尿が出なく
なり、葬儀で僧侶が叩く大きなけいすぐらいまで顔がパンパンに腫れた。
でも、棺の中のおじは見られた顔にしてもらえて、よかった、とおばが
語る。
 えっ・・・。
 尿が出ないのに、点滴をやめてくれなかったの。
 ならば、血液検査も最後の最後まで続けられたのかなあ。
 どうやっても血液中に二酸化炭素が溜まりすぎ、あとはもう死を待つ
ばかりになり、おじの脳はようやく穏やかに昏睡状態になれても、肉体
的には最後まで無駄にいたぶられたようなもの。
 煙草をやめなかったせいの自業自得、と突き放してもよさそうだが、
これが病院で死ぬと言うことなのか。
 煙草さえ吸わなかったら、こんな死に方にはならなかった。
 おじは馬鹿だ。

病院の正解

 社会的な権力を笠に着て、好きに振る舞っていたら、会見などで嘘の
弁明をするしかない事態となり、厳しく糾弾されたあと、逃げるように
病院に避難する人達がいる。
 心身の不調ぐらいで入院させてくれるほど、ニホンの病院はベッドの
空きがあるんだ。
 個室や特別室を長期占有できる財力があれば、病院は笑顔で歓迎して
くれるだけの話である。
 なんにせよ、こういう姑息な雲隠れを画策するようになったら、年寄
りである。
 日大アメフト部の前監督で大学の元常務理事だった内田正人は六十二
歳。やっぱりね。
 ところが、彼より一歳年上の安倍首相が、あと二年で高齢者呼ばわり
されるは嫌だと述べたそうな。そして、名称の見直しを求めると。
 図星を指されて動揺するのは、その渦中にある人である。
 高齢者と呼ばれたくない、と主張するところが、まさに高齢者たるゆ
えんなんだけどなあ。
 意識が、他者の目と乖離している。
 それがますます乖離してゆくことを「歳を取る」と言うのだと賢い人
はわかっているから、そう呼ばれる域に達したら、心密かに悲しんだの
ち、受容し、そう呼ばれるにふさわしい精神の高みを目指すべく、気を
引き締める。
 長老や古老と呼ばれることは、古来、勲章だった。
 年の功は、歳を取らねば手に入らない。
 なのに、権力や影響力に関しては高齢者であることを手放さないが、
高齢者とは呼ばないで、ですと。
 入院という茶番を決行した内田前監督の方が、年寄りという自覚なし
にはできない行動を取ったという点で、軽蔑の眼差しはあるけれど、評
価できることになる。
 さて、去年、煙草を吸い続けてきた八十代の知人男性二人が相次いで
入院したが、一人は、肺気腫なのに煙草を止めず、風邪から肺炎になっ
ての入院だった。
 一週間ほどで退院できたが、二日間家にいただけで、狭心症を発症。
再び救急車で運ばれると、微熱が取れず、見る影もないほどぼろぼろに
なり、耐性菌に感染したのか何なのか、わからぬまま入院が七ヶ月目に
入り、鎮静剤をいつ使うか、という話が出て、体のいい安楽死の提案だ
と家族は受け止めたのだったが、劇的に回復して退院。医者も理由がわ
からないらしい。
 そう聞くと、最後まで治療を諦めない医者の姿勢を王道だと思った。
 一方、私のおじは死んだ。
 肺気腫で自宅治療中、症状が悪化して入院したので事情が異なるが、
おじの最期を聞くと、絶対に諦めない医師は良いのか、と考え込まされ
た。

日大アメフト部三昧

 今週は日大関係者の会見が次々行われた。
 会見を生で見ようとして、私は私の思考回路の古さに気づかされるこ
とになった。
 五月二十二日。多くのテレビ番組で宮川泰介選手の謝罪会見が放映さ
れたが、会見の開始時刻が遅れたせいか、途中で放映が打ち切られ、番
組スタジオの人達が好きに見解を述べる場面に切り替わって、え、テレ
ビは事の優劣がおわかりではないんですか。
 慌ててパソコンで探したら、インターネットで生中継の続きが見られ
た。
 しかし、翌二十三日夜八時からの内田正人監督と井上奨コーチの会見
も、私はまずはテレビを頼り、またもや生放送が途中でぶつ切られて、
パソコンで生中継の続きを見る羽目に。
 五月二十五日、午後三時半からの日大の大塚吉兵衛学長が記者会見も
同様で、さすがに私は、会見の最後まで生放送を流してくれとテレビに
期待しても詮無い、と学ばされた。友達に話したら「今頃」と笑われそ
うである。
 ところで、立て続けに関係者の会見が三度続いたことで、たとえば、
宮川選手の会見の場は異質に格が高かったことがよくわかった。質素な
会場に見えたが、日本を代表する日本記者クラブって、やっぱりすごい
んだなあ。
 そこを使わせてもらうことができた宮川選手。
 彼の真摯で誠実な態度は出席した記者達にも影響したようで、そこに
いる全員が、彼は加害者だが言葉汚く糾弾すべき相手ではなく敬意を払
うべき人物である、という姿勢で礼儀正しく質疑した。
 もっとも、代理人である西畠正弁護士が、宮川選手の長き将来を鑑み
て、「できればアップで撮るのは避けて格別のご配慮を願えれば」と冒
頭で述べた言葉があっさり無視されたことは忘れてはならないのだが。
 会見の最後に、西畠弁護士が、宮川選手の両親からの言葉を代弁した。
 短い一文である。
 だが、読み上げる声は乱れ、その声の震えは、その会見を見た良識あ
る人達の切なる願いであるがごとくに私には聞こえた。
「どうか皆様には将来に向かって歩もうとしている本人の今後を静かに
見守ってくださるよう心からお願い申し上げます。以上で終わります」
 ところで、二十四日にスポーツ庁に問題の経過を説明に行った帰りの
日大幹部が記者に取り巻かれて意見を求められる場面がテレビで放映さ
れたが、大里裕行常務理事は、答えようとして、一瞬、石井進常務理事
に目を走らせ、無言を選択した。
 その一瞬の意味。
 映像、音声から伝わることは多い。

歯医者にて

 歯科医の入口で靴を脱いでスリッパに履き替えていたら、
「おはようございます」
 少し離れた受付けで声がする。
 誰も返事しない。
 あ、私に言われたのか、と気づいた時には数秒経っていて、返事しそ
びれた。
 でも、受付けに診察券を出す時は、もちろん、ちゃんと、
「おはようございます」
 と言った。
 雑誌ラックから一冊取り、立ち読みし始めたら、初老の男性が入って
きて、彼も、診察券を出す時、受付けの女性から、
「おはようございます」
 と言われたが、彼は無言。
 面と向かって挨拶されても無視するとは、なんたる傲慢。きっと家で
も、奥さんに「飯」「風呂」「寝る」ぐらいしか言っていないんだわ、
と決めつけてしまう。
 私は名を呼ばれ、椅子に座った。
 左下の歯の虫歯の治療である。
 麻酔をされ、一旦、待合室に戻るように言われた。
 無言。
 次に名を呼ばれても、治療中に何かを言われても、無言。頷くだけ。
 あの老人とは状況が違う、という言い訳は通用すると思うけれど、私
の特殊な状況を知らない人から見たら、私は単に不躾な人間に見えただ
ろう。
 あの老人は、今回が初めての受診だったようで、用紙に記入を求めら
れ、その書き方について受付けの人に質問をし、会話していたから、最
初の挨拶を無視したのは、彼なりの必然があったのかもしれない。
 私は、歯を削り、かぶせの型を取り、それが出来てくるまでの仮の詰
め物を入れられたあと、
「上の歯と下の歯で噛んでください」
 歯科衛生士の女性に言われた。
 痛い…。
 虫歯はなくなったはずなのに、中から疼く。
「えっ」
 歯科衛生士が私の口の中を覗き込む。
「ベロを噛んでいますね」
 私が力を入れて下の歯と噛み合わせようとしていたのは、上の歯では
なく、ベロ、いや舌だったのか。
 大人の私に対して「ベロ」という言葉を当然のごとく遣うこの人の背
景はなんだろう、などと関係ないことを思いつつ、
「どうしてもベロが左側に寄ってしまいますね」
 と言われるのを聞く。
 頑張って、舌ではなく上の歯で下の歯の上部の仮の詰め物を押さえる
ことができたが、
「二時間ぐらいは何も食べない方がいいかもしれませんね」
 でも、食べたし、飲んだ。
 コップのお茶は、口の端からぽたぽたこぼれた。
 鏡を見たら、唇の動きは左右非対象。私自身の思う感覚と違う動きを
勝手にする。
 一時的とわかっていても、自分のからだが思い通りに動かないもどか
しさに直面したのである。

言葉ひとつ

 先日お葬式に出席した。
 香典は辞退する、と葬儀社が用意した定型の案内状の中のみならず、
喪主家族からのメールでも駄目押しされ、それでも持って行って受け取
ってくれるか試してもいいが、愚直を選び、香典はやめることにした。
 葬儀社のホームページを見ると、供花(きょうか)を頼める。
 選べる種類がないが、無料電話で相談してみよう。
 今予定されている祭壇周りの供花の数などを聞くと、
「担当者ではないので」
 詳しいことはわからないと言われ、担当者か、よくわかる者にあとで
電話し直させるという対応を取る気はないらしい。
 話を続け、供物(くもつ)を注文することにした。
 果物、缶詰、飲み物、干物の四種類のみで、どれも一律の値段。供花
のような見栄えに仕上げるために値段の大半を充てて、内容はしょぼい
が、仕方ない。
 その日に葬儀会場で現金で払いたい、でも喪主家族にその場面を見ら
れたくない、と希望を述べた。
 すると、受付けで支払ってもらう、お客様一人一人の要望に個別に応
えることはしていない、それに、たとえばコンビニでお金を払う時にレ
ジ以外で支払うことはないですよね、と言われる。
「この方法が嫌なら振り込みを選んでください」
 たぶん、私はその段階で臍が曲がり始めていたのかもしれない。
 振込先を聞いた。
 相手が倦んだ口調で銀行名を述べる。
「振込手数料はこちら持ちですか」
「もちろんです」
 この言葉で気持ちが固まった。
 テレビで紹介されて話題の葬儀社ということだが、
「ちょっと考えます」
 電話を切り、当日、百貨店で気に入る和菓子を詰め合わせてもらって、
気持ちよく持参できたし、金額も大幅に抑えられたので、その意味では
電話して良かったことになるが、この顛末を話したら、ベンツおじさん
は、自分ですら、
「申し訳ごさいませんが、そちら様でご負担いただくことになりますぐ
らいのことは言う」
 と言ってくれた。
 が、そもそも、その日、受付けで葬儀担当者に言えば、少し離れた場
所で支払いの処理をしてくれるはずだと。
 私もそう思ったけど、電話で確認したら、違う答えが返ってきたんで
すよ。
 この一件で学んだ。
 丁寧な言葉を遣えば良いサービスになるわけではない。
 ホテルでも何でも超一流は、今回の私のように愚かしいことを聞く客
であっても、客が気を悪くしない言い方で納得させられるスタッフを擁
しているから、超一流なのだ。
 言葉一つで、人は気持ちが変わる。

生きる価値 2

「私は幸せではない。私は死にたい」
 そう訴えたのは、四月四日に百四歳を迎えたオーストラリアの科学者、
デイビッド・グッドール。
 転倒して入院しても、自分の足で歩けるし、パソコンも使いこなす。
頭脳も明晰。
 だが、健康状態がさらに悪化すればさらに不幸になる、と予測して、
スイスで安楽死できるよう渡航費の募金を募り、百四十万円ほど集まっ
たとか。
 私は前回、「もう生きていたくない」と言う人は誰もいないらしい、
と書いた。「らしい」という言葉のおかげで、グッドールは特殊な例外、
と突っぱねることもできるが、そう遠くない未来に死があることを実感
して、それでも日々、懸命に生きている寝たきり老人達のことを私は言
ったのであった。今、グッドールのことを知っても、そういう状況にあ
る老人達は、本能的に「死にたくない」と思うはず、という考えを手放
すことができない。
 もうこれ以上は、と思ったら、彼らは言うだろう。
「もう楽にしてください」
 痛みを取り去ってほしい。決して死を望んでいるのではない。
 なのに、痛みからの解放が死と直結する残酷さ。
 そんな事態に堪える力はない、と思うなら、グッドール同様、理性と、
そこそこの健康があるうちに積極的に死を選ぶ、というのが一つの解決
策となる。
 ところで、寝たきりで回復不能とわかっている老人達についてである。
 その状態で生きている価値は、あるやなしや。
 本人ではなく、本人以外の人達がどう見るか。
 私は、ただ生きているだけで素晴らしい、と考える。
 私自身、一日が終わって、
「ああ、今日は特に何もしなかったなあ」
 と思うことも多いからだ。
 毎日ではないから同列に扱えない、と慰められるとしたら、不登校
鬱病などで引きこもっている人達のことを私は思い浮かべる。
 今はたまたま、死の道にある老人達と同列に見えるかもしれなくても、
心身の健康を取り戻したら、自立して生きる人に戻れるから、やっぱり
別枠、と言うだろうか。
 とすると、刻一刻、肉体的な痛みと闘い、ようやく一日を終えるよう
な過酷な生を生きていても、年寄りというだけで「何もしていない」と
批難して良し、とする立場を取ることになる。
 自分もいつかはそうなるのに。
 あ。
 潜在意識はちゃんと理解していて、その時が来るのが怖くて、怖すぎ
て、まだ違う、と納得するために、残業本望、過労死不運、という方向
に自分を駆り立てる人もいるかも、と閃いたが、どうだろう。

生きる価値

 今日も朝から爽やかな陽気で、おまけに土曜日。
 体の中からむくむくと「ちゃんとしたい」という気持ちが芽生えてき
た。
「ちゃんとする」とは、冬の下着や服では季節に合わない、と予想され
るので、朝、慌ただしく着たい物だけを引っ張り出してきて間に合わせ
る、といういい加減さと決別する、ということである。
 タンスの引き出しの中を入れ替える衣替えは、今日までに済ませた。
 けれども、冬物衣料は、来シーズンまで出さないから、たっぷりのお
日様にさらしておきたいし、今シーズンのも、長く引き出しの中にあっ
て湿気ている、と思うと、やっぱり日干ししたい。
 ダウンジャケットの手洗いは、バスタブを洗ったあと、その中でする
つもり。
 それらに、朝から着手。
 内なる声にせき立てられ、今日する気じゃなかったのに、することに
なった。
 日干しするのはまだ残っているが、昼までで今日の分を終わりにし、
昼食後、コーヒーを飲みつつパソコンに向かったら、異様な眠気に襲わ
れ、パソコンの電源を落とした。
 コーヒーを飲み、横にならずに二十分ほど昼寝すると、目が覚めてす
ぐに頭がすっきりという情報が正しいとしたら、なんで今も頭がぼんや
りしているんだろう。二十分ほどで目が覚めかけて、また眠ったのがい
けなかったのかなあ。
 買い物に行き、戻ってきたら、夕方五時で、何もしていない、今日は
何もしなかった、という気持ちになる。
 ちゃんと食べたし、飲んだし、衣替えもしたし、「生きる」ための行
為はちゃんとして、だから、今もこうして生きている。
 なのに「何もしていない」と思ってしまう。
 高齢で寝たきり、あるいは長期入院になり、回復の見込みがない人達
は、毎日、どう思って生きているのだろう。
 今日の私などより、もっと強力に「何もしていない」と思う日々を送
っているのだろうか、と想像すると、あ、それは違うな、と気がつく。
 というのは、こういう話になると、必ず、
「自分は、そんな状態になってまで生きていたくない」
 と言う人が現われるが、そういう意見を聞いた時も、あ、それは違う、
というか、絶対に違う、と確信できるからだ。
 なぜって、実際にそういう状況になっている人達の誰一人として、
「もう生きていたくない」
 と言わないらしいところに、その当事者になった時の思いが読み取れ
ると思うのだ。
 どんなに無為に見えようとも、「何もしていない」とは思わないらし
い、ということだ。

常識、別の名は、洗脳

 今週、一躍渦中の人に踊り出た、財務省福田淳一事務次官
 女性記者にセクハラ発言を繰り返した、と指摘されても、
「言葉遊び。全体を聞けばセクハラではない」
 と主張する、ということは、彼は、会話の中に紛れ込ませる性的な発
言は音楽の休止符ぐらいにしか思っていないのではないか。
 自分の言動が、権力を笠に着た弱い者いじめになっているかどうか。
 その相手が、自分と同じような言動を自分自身にしてきたらどう思う
か、で普通は検証できる。
 ただ、性的なことは、男から女、大人から子供、という関係性にある
だけで強者から弱者、になり、この場合だと、女性記者から、
「触ってもいいですか」
 と言われると想像したら、次官は「こよなく良し」と相好を崩すだけ
だろう。
 彼の発言で一つだけ面白かったところがある。
 音声データの声について、
「自分の声は自分の体を通じて聞くのでよくわからない。福田の声に聞
こえるという方が多数いることは知っている」
 と語ったことだ。
 私は、テープに吹き込まれた自分の声を聞いて、
「こんなの私の声じゃない!」
 と愕然とした経験がある。
 自分の声は、空気を震わせて耳に伝わる以外に、骨からも伝わるので、
他人が聞いている自分の声と同じには聞こえない。
 その事実を言わずにいられなかった福田氏。
 追い詰められているさなかの真摯さ、と見えて、おかしみを感じた。
 だが、この点で誠実だった彼は、セクハラ発言だと思っていないとい
う見解も、彼の本音を誠実に語っただけかもしれない、とも思えてきて、
うーん、まずいな。
 自覚のない人ほど厄介なことはないから。
 ところで、十九日の午前零時にテレビ朝日が緊急会見を開くまで、政
府はセクハラ被害者に名乗り出るよう促し、顰蹙を買っていた。
「名乗るなんて、できっこない。勤務先の会社は、今後、取材がしづら
くなるし、本人も取材先から敬遠されて、社内で配置換えされたりする
だろう。不利な事しか起こらない」
 まったく同感である。
 しかし、これが確たる顛末だ、と私自身もそう思ったのは、自分自身
の尊厳より、組織への忠誠を上に置くのが正解だと刷り込まれてきた罠
のような気がしてきた。
 上司に訴えたが揉み消されて、週刊新潮に連絡を取った女性記者。
 彼女は、海に飛び込んだ最初の勇気あるペンギンになったかも。
 そんな彼女を応援したい人達の力で、彼女の未来は暗いどころか、逞
しく明るく輝くのではないか。
 希望だ。

もうちょっと「凶」がいい

 先月、お彼岸のお墓参りの帰りに、その近くのお寺にお参りした。
 金運で有名なお寺で、お守りは前回のお墓参りの際新しく買い直したか
ら、今回はお参りとおみくじだけ。
「凶」。
 えー。お墓を綺麗に掃除したのになあ。持って行った布では足りなくて、
ハンカチまで使ったのになあ。
 運気は甚だよろしからず。
 何事も慎め。
 短気はならぬ。
 時節を待つべし。
 病気重し。
 悦びごとなし。
 売買、利なし。
 望み、為りがたし。
 失せ物、出ず。
 争い、負けなり。
 旅行、見合わすべし。
 運命の底の底とはこういうものなのか。笑えるほど救いがない。
 が、
「総じて当分何事もせず神仏を祈りて時を待つべし」
 という締めの言葉で、閃いた。
 そうか。積極的に何かをしようとせず、受け身でいたらいいんだな。
 二次的と見なしたい所用に手を取られ、それだけで疲れ気味になり、確
たる事は何もできていない、と気ばかり焦っていたのは、そうか、当分は
この状況に身を任せ、流されていればいい、とお墨付きをもらったってこ
となんだな。
 そう気がつくと、「凶」のご神託が、私にとって実に適切な、ありがた
いものだと感じられてきた。
 怠惰こそが吉となる時期なんだ。
 しかし、人間とは、自分に都合が良いとなったら、すぐにそれに胡座を
かくものなのか。いや、私は、と言うべきなんだろうけど。
 日ごとに春めき、枯れ果てていた木々の枝先や、葉の間から、ツンと春
の表情が顔を出し、それを見て人間の私は、春の衣服に入れ替えたい、冬
だからと放置していた室内を綺麗にしたい、と自然にそわそわしてくる。
 なのに、いやいや、そのために窓を開放したら花粉が家の中に入ってく
るから今はまだ駄目、とそれらしい理由を見つけ出してきて、怠惰を続行。
下手をしたら、「凶」の有効期間をどこまでも延ばしそうな勢いである。
 先週、京都大原の三千院に行ってきた。
 その日しか友と日が合わず、今年は桜は咲いてもすぐ散る気温の上昇だ
ったので、期待していなかったが、低くても山は山であることを過小評価
していたと深く反省させられることになった。
 行ったら、ちょうど満開の桜。山桜もまた然り。
 そして、引いたおみくじは「吉」。
 此みくじにあふ人は病人の起る(たつる)ごとく一日一日とくるしみと
けよろこびにあふべし。
「凶」のおみくじからの流れがあまりに自然で。
 ニホンの神々よ、互いに連携しているのですか。
 と感心している場合ではない。
 もう始動しろって言われたんですよね、私。

女人禁制の意義

 突然倒れた人が意識も呼吸もない時は、心停止と見て、胸骨圧迫と人
工呼吸で心肺蘇生を行なう。AEDが手元に届いてもAEDが電気ショ
ックの必要なしと判断したら、救急車が到着するまで胸骨圧迫と人工呼
吸を続ける、というのが正しい手順になるらしい。
 救命措置である。延命措置ではない。
 一刻を争う。
 そういう場面が、今週四日、京都府舞鶴市の大相撲春巡業の土俵上で
出現した。
 多々見良三市長が挨拶の途中に倒れたのだ。
 市長のまわりで無駄にオロオロするばかりの男達をかき分け、胸骨圧
迫を始めた女性は看護師だったそうな。
 後日、その動画を見て、日本救急医学会の大房幸浩氏が、彼女の初期
対応は完璧だった、と自身のFacebookに書いた。
 だが、その措置の最中、行司が女は土俵を降りろとアナウンスを連呼
していた。
 慌ててしまったせいらしい、とひとごとみたいな発言をした八角理事
長は、なんでその人が慌てたかを考えたのかなあ。
 その行司は、観客が女人禁制のことを言うのを耳にし、組織の規律に
沿った言動をしなければ、と慌てたのではないか。
 だから、その人を責めづらい。
 すわ、と言う時ですら、組織の大義名分を優先して自身の信念で事に
当たれないニホン人の自主性のなさを見せつけられたなあ、と思うだけ
である。
 私は、土俵上の女人禁制は、それが伝統なら別にいいんじゃないの、
と思っていた。たいしたことでもないんだし。
 しかし、この一件で、かつては女人禁制だった高野山を思ったりして、
いや、そういう素直さは思考停止だ、と気づかされた。
 土俵上の女人禁制が理に叶っているのなら、その理を相撲協会はちゃ
んと表明しなくては。
 でないと、力士の暴力事件が起こっているのは土俵外だが、女達はそ
ういうことを見聞きしても口出しするな、ほかのもろもろの事も、と威
圧するために女人禁制が象徴的に採用されているんだ、と考えてしまう。
 過去のいつかの時点では、それはその時代にふさわしい決断だった。
 だが、時代が変われば、環境も人の考え方も変わる。
 まだ今の時代にも見合った内容かを常に検証してこそ、進歩できる。
 それをしたくないのは、今の状況ゆえに高位に就けている面々の、我
が身かわいさかも。
 からだは男で心は女、あるいは性転換して男になった人が、土俵に上
がって職務を果たしてから、自身の真実を語ってくれたら愉快だろうな。
 そうなったら、相撲業界よ、どうする。

延命治療 2

 救急車を呼んでくれ、と自ら求め、人工呼吸器のおかげで一命を取り留
めたのは、親戚のおじだ。
 肺気腫と診断されても煙草をやめず、酸素濃縮装置から酸素を吸入する
鼻チューブ、カニューラのお世話になっていたが、それでも息苦しさに襲
われたらしい。
 容態が安定して、慢性期病院に移された。
 余命の目安は約一年。
 そう聞いたからだろう。家からそう遠くないので、おばは毎日、いとこ
達も時間は短くてもなるべく毎日、おじの見舞いに行っている。
 しかし、半年以上経ち、みなの表情に疲労が見える。
 おじは転院後三ヶ月ほどで鼻から管で栄養を補給する経管栄養になった。
 鼻の中が気持ち悪くて管を抜こうとするのでミトンで拘束される夜もあ
ったとか。
 拘束・・・。
 まるで罪人みたいな扱い。可哀想だなあ。
 その後、院長から胃瘻の話があり、それを家族が伝えた途端、おじは顔
がひきつり、体調が悪化。肺炎にかかったりして、その話が保留がなって
いるうちに胃瘻は無理な状況となり、今は太ももからの静脈栄養法になっ
ている。
 私は、人工呼吸器、経管栄養、静脈栄養、胃瘻は延命治療の領域に入る、
と理解していたので、救急車で運ばれて人工呼吸器、と聞いた時点で、あ
あ、その道に足を踏み入れたんだと思い、経管栄養と聞いてもそうだった
が、それをしないとおじは死ぬわけで、胃瘻と聞いても、もう動じない。
むしろ、この言葉に強く拒否反応を示したというおじを不思議に思った。
 おじは、胃瘻に関してだけ、なんとなく聞き知っていることがあり、胃
瘻になったらもうお仕舞い、と思い込んでいるのかもしれない。
 おじの体調はゆるやかに下降線をたどっているし、四六時中苦しそう、
痛そうなのは傍目にもわかる。
 そういうおじを見守るしかないことが辛くて、おばは、ふと、あれでよ
かったのか、と救急車で運ばれた時のことを思い返すことがあると言う。
 おじは、滅多に言葉を発しない。それに喋っても、聞き取れない話し方
になることが多い。でも、ベッドの周りで交わされる私達の会話はちゃん
と理解している。
 頭脳の明晰さは持ち続けているのだ。
 そういう人の場合、延命処置であっても、その治療は為されるべきだ、
と頭で理解していた時とは正反対のことを思ってしまう今の私。
 だって、意識ははっきりしているのだ。
 しかし、と言うことは、意識がなくなったら延命治療は無用、という理
屈になっていいのだろうか。