ウクライナ侵攻十日目

 三月三日は雛祭りだった。
 半月前に買った桃の花がまだ咲いているので、直前に新たに買い直さなく
てもいいかなあ。
 パソコンの写真アルバムを見てみた。
 二年前から雛人形の周辺を撮影している。
 毎年同じだから撮らなくてもいい、とも思ったけど、撮る気になったのは、
不要ならいつでも消せる、でも、写真を撮れるのはその時だけ、という思い
が勝ったからだ。
 すると、二年前は、桃の枝が普通の生花と同じぐらいの背丈に切られてい
るせいか、桃の花がもっと密集して、賑やかに見える。
 一年前は、桃以外の花も生けていて、今見ると、あんまり良いとは思えな
い。
 今年は枝を切らずに背丈が高いままなので、桃は木だということがわかる
のがいいと感じる。
 掌に載るような小さなお内裏様とお雛様。
 その両側に飾るお菓子も毎年変わり映えしないと思っていたが、去年は、
当日、伊達巻きの寿司と桜餅をお供えしている。
 定点観測は、その時々の気分に気づかせてくれて、結構、役に立つもので
ある。
 結局、前日に、新たに桃の花を買った。
「暖かかったらすぐに咲きますよ」
 と言われたが、お雛様を片付けてしまった今日になって、ようやくすべて
の蕾が開き始めて、もう少し早く買っていればと悔やまれる。
 が、二月に発症したアレルギー症状が治まるまでは、気力が出なかった。
 とりあえず、桃の花は生けてあり、お菓子も供えてあるんだし。
 幸い、体調が良くなってきたので、当日は伊達巻きの寿司と桜餅を買って、
食べた。
 翌日は、菓子類。
 お腹は空いていないが、むしゃむしゃ食べる。
 食べるのは、不安だから。
 不安なのは、ロシアのウクライナ侵攻。
 今の私の命には直接影響しないのに、テレビのお気楽な番組もパラリンピ
ックも、興味が湧かない。
 インターネットでウクライナの最新情報を得るべく、フランスのテレビや
ラジオを見聞きする。
 それで不安になるのなら、見なけりゃいい。
 でも、人は、自分の言動をちゃんと解き明かせるものだろうか。
 なぜか私はこのスポーツにのめり込んでしまう、という理由とか。
 その事実を見て、ああ、私はこうなんだ、とひとごとのように理解し、伸
ばして良い方向性のものなら研鑽するし、人間的に良くないことなら別方向
に舵を切るべく理性を使う。それが、できる精一杯なのではないか。
 幸い、さっき、お菓子を食べ尽くした。
 無意味に胃を痛めつける愚行は、もう終了。
 ストレス発散がほかに向かわなければいいんだけど。

電卓の寿命

 私は暗算が苦手だ。特に引き算は。
 日本人なら、1979年生まれの人が今何歳かを知りたければ、2022
から1979を頭の中で引き算するだろう。
 私は日本人。
 でも、フランスのお釣りの渡し方をアレンジした計算方法をとる。
 フランスでは、1979通貨の商品代金の物を買うのに客から2022通
過を渡された場合、客に1を渡して1980と言う。次に10を二枚渡して
2000。さらに10を二枚渡して2022。最後に1を二枚渡して202
2と言ったら、完了。
 問題は、この方法だと、お釣りの総計がわからないことだ。
 なので、私は、1979に10を四回足したら2019になるな、と指を
折って計算する。ここまでで40。
 これに3を足したら2022になるから、その人は43歳なんだ、と理解
するのである。
 こんな私だから断言できる、日本の引き算の計算方法は難しいと。
 幸い、今は電卓がある。
 電卓の液晶の文字が急に薄れた。
 太陽光に当てると文字が出るが、電灯の下だと駄目。
 電卓は半永久的だと思っていたのに。
 買い買えねば。
 しかし、インターネットはすごい。
 私と同じ状況になった人が、電卓を分解して内蔵電池を替えたら解決した、
と写真入りで紹介しているページがあったのだ。
 電卓はソーラー電源だと言われるが、大抵、太陽光と内部電池が電源で、
しかも太陽光だけでは用を為さないことがわかった、という意見には大きく
頷ける。
 内部電池は、乾電池あるいはバッテリー。
 もし乾電池なら、替えれば済む。
 分解・・・。
 引き算よりも苦手だ。
 でも、新品の電卓はそう高くない。
 ならば、今のが壊れてもいいと思って分解してみてもいいのではないか。
ボタン電池の方が安いし。
 ネジは簡単にはずれる。
 だが、それで蓋がはずれるわけではない。
 かなり力を入れねばならず、壊れてもいいと思っていても、壊れるのでは
ないかと心配になりつつ、作業を続行。
 なんとか開いた。
 そして見つかるボタン電池
 LR44。
 買い置きの中になかったので、買ってきた。
 蓋は、数ヶ所、本体と蓋のそれぞれの凹凸を噛み合わせる場所があり、開
ける時は抵抗に遭うが、はめ込むのは簡単だ。
 電卓が復活した。
 やったあ!
 ささやかでも、私にとっては大いなる達成感である。
 ただ、後日、ふと見たら、このボタン電池の買い置きがあるではないか。
 ない、と思って探したから、見つからなかったのか。
 本当ならボタン電池代もいらなかったのにと、ちょっとけち臭い後悔が残
った。

スーパーの切り身魚

 スーパーマーケットの鶏肉に、消費期限が長いのと短いのがある。
 生ものなので、長い方はなぜ、と疑念が湧く。
 ちょうど普段は売り場に出てこない鶏肉担当の男性が出てきていたので、
聞いた。
「知らぬことは知りたる人に問うべし」
 である。
「そういうガスを入れている」
 というような答えが返ってきた。
 ガス包装と言われている方法なのだろう。
 納得。
 でも、この男性。一応答えてくれたので文句はないが、答える時、そんな
ことも知らないのかと言いたげな表情だったので、私は、
「こちとら素人ですぜ、業界の常識を知らないからって軽蔑されても」
と心の中で思ったのだった。
 さて、スーパーの店内でさばかれ、即、店頭に並べられる切り身魚である。
 私が大好きな鯖は特にそうだが、ほんの少し時間が経っただけで、切り口
から血あるいは血のような物が滲み出る。
 牛肉、豚肉、鶏肉も時間が経つと組織が破壊され液状になったのが流れ出
て、容器を傾けると隅の角に溜まる。
 ドリップ。
 気になるけれど、魚の切り身の場合、特に気になる。
 以前は、魚の下にそういうのを吸収する白いシートが敷かれていた気がす
る。
 シートが赤く染まるのを間違って悪く受け止める消費者が相次ぎ、廃止さ
れたのか。価格を抑えるために、なくしたのか。
 でも、今さばかれて新鮮なはずが、そう見えなくて買う気が失せる私のよ
うな客が結構いるとしたら、結局は売れ残って廃棄処分になり、大局的に見
て損な売り方をしていることになるのではないか。
「そうだ、缶詰だ」
 と一時期、鯖と鰯の缶詰にはまったが、飽きた。
 冷凍の鯖や鰯や秋刀魚は出回っていないし。
 今、私は鮮魚難民。
 それに野菜難民でもある。
 近隣の県から毎朝直送されてくる野菜類が売られている場所が終了になっ
たのだ。
 小松菜一つとっても、出店農家の人がそれぞれに値段を付けるので、いろ
いろ。
 小芋は、絶対に、スーパーマーケットで売られているのより、安心できる。
 一つ一つが大きいし、切ったら中に赤い毛細血管が走っているような古い
のは混じっていない。
 大根は、季節外れで大きくなりすぎ、しかも堂々と三センチぐらいの穴が
開いているのも平気で売られるのはどうかと思うが、値段は激安設定なので、
買う人はいる。
 選んで、納得して、買う。
 そんな楽しみがあった。
 閉店後は、より広い場所で営業を再開されるらしいが、私はそこまでは買
いに行けない。
 食材の値段は上がり、内容は悪くなる。
 打撃の春だ。

さりげなく最新技術

 先週、久しぶりにアレルギー症状が出た。
 それでも十二年前の発症当初よりましなのは、今は、体調の変化を感じた
ら、処方されている二種類の漢方薬を飲み、コントロールしているからだろ
う。
 だが、当時の最悪の時を上回る薬を大量服用するのに、喘息の人特有の喉
の鳴らし方が続く。
 幸い、週明けは診察日だった。
 ところが、受付で、
「今日は代診ですが、いいですか」
 と聞かれる。
「え、またですか・・・」
 前回は、担当医が入院して、二週間ぐらい休診になったのだ。
 休診期間中に予約を取っていた患者は、予約日の変更を求められた。
 偶然、私もその一人だったが、偶然、私の場合は、先生のせいでなく、私
自身がその予約日では都合が悪くなり、私から求めての予約日変更となった。
 それを電話でなく病院に出向いて相談したため、休診のことを知った。
 私が「また」と言ったのは、だから、また入院なのか、という質問である。
 今回は、新型コロナウイルスの陽性者になり自宅療養になったからだとか。
 代診にしたのは、前回の休診の際、いろいろな面で懲りたからだろう。
 私の予約は朝一番。しかし、私よりあとの予約時間の人達が次々診察室に
入っていく。
 一時間後、困惑して受付けで訊ねたら、
「先生に電話をかけているんですが、折り返しの電話がかかって来ないんで
す」
 アレルギーを発症したと私が話したので、私は担当医と直接話をしたいの
だと理解し、担当医から電話が来るまで私の診察を後回しにする対応が取ら
れていた模様。
「代診の先生でいいなら、次にお呼びしますが」
 そうしてもらう。
 と、診察室に入った途端、
「電話が繋がりました」
 電話の子機をスピーカー状態にし、診察室のみなが聞こえる状態で話すと
いうアナログさが、なんか笑える。
 症状を告げ、口を閉じても喉が乾くと言ったら、いつもの漢方薬に加えて、
うがい液を出してもらうことになった。
「お大事に」
 私から先生に、そう声をかけて電話が終わったのも、なんか笑えた。
 で、うがい液だ。
 頭の部分を押すとピュッと青い液が出る、その仕組みの精巧なこと。
 普通の鏡だと映らない広角の範囲まで見せてくれる新開発のFFミラーを
テレビで知り、すごいと思っていたら、さっそくエレベーターの横に付いて
いて、
「おおっ」
 これなら、エレベーターの中からでも、遠くから近づく人に、ちゃんと気
づける。
 人知れず、身近に、最新技術。
 だから残念に思う。
 スーパーマーケットの魚の切り身や肉類の容器だ。

手土産

 先月、友達の家に招待された。秋に第二子を出産したばかりで外出できな
いからと。
 昼食はパスタとサラダでいいなら作ると言ってくれたので、じゃあ、私は
何か甘い物を持って行こう。
 約束の二日前、朝起きる直前に、友にパスタをご馳走してもらえず追い返
される夢を見たが、気になる予定があると、それにまつわり妙な夢を見るも
のらしい。
 起きてから、手土産を買いに行った。
 カステラみたいなチョコレートケーキに心惹かれる。しかし、冷蔵庫で保
存し、当日は保冷剤で冷やして持って行くという手間が面倒だし、箱が傾い
てケーキが潰れたりしたら嫌だ。
 あ、私、ゴーフルが食べたい。
 贈答でもらったら食べるけれど、久しくもらわないから、久しく食べてい
ない。
 これを持って行って、友達と一緒に食べよう。
 ついでにブッセも買った。
 ところが翌日、友から、夫の職場で新型コロナの陽性者が出て、夫が濃厚
接触者になったので、会うのは延期にしてほしい、というメール。
 チョコレートケーキを買っていたら悲劇だった。
 でも、ゴーフルは月単位で日持ちするが、ブッセは、やっぱり、友と会え
るだろう日までは持たない。
 贅沢だけど、食事のあと、甘い物がほしくなったら食べることにした。
 私は、スーパーマーケットで、たとえばチョコパイを買うと、一日一つで
六日間、と頭の中で計算したのに、その日のうちに全部食べてしまう。
 クッキーやおかきも同じ。
 家にお菓子を買い置きがないから、買った時に欲が炸裂するのだと思い、
たくさん買い込んだら、やっぱり数日で全部食べ切ったので、私の場合は、
家のどこかにあると脳が知る状況がいけないみたい。
 ところが、ブッセは、一つ食べたら、もう十分。
 やはり、値段と質は比例するのか。
 ちょっぴりの贅沢。
 それで胃と心が満ち足りて、エネルギー過多にもならないのなら、手土産
のイメージが強い洋菓子や和菓子の一個売りを買って食べるのはいいかも。
 バレンタインデー・チョコを自分用に買うのと似た心理である。
 ちなみに、パスタの夢は約束が流れることの暗示だった可能性に思い至り、
二週間ぐらい経ってから、友に伝えようとメールに書いたら、友は、長女が
熱を出して病院に連れて行き、陽性が判明して家族全員が自宅療養になった
と私にメールする直前だったらしく、そのタイミングに驚き、そして、そん
な夢を見るなんて私には予知能力があるのか、と聞かれたけど、それに関し
ては、たまたまです。
 うん、たまたま。

優しい車掌さん

 いつも乗る駅、降りる駅。
 決まっていたら、寝ていても、ちゃんと目が覚める。
 たまに、扉が閉まる寸前に目が覚め、走り降りる人がいるけれど、あわ
やと言うところで目を覚まさせてくれるのだから、身体の時間感覚は、す
ごい。
 けど、いつもは降りない駅まで寝た時も、なぜか直前に目が覚めてくれ
る。
 寝ていても、この駅で降りるのだ、という駅名に、耳が反応してくれる
のかなあ。
 用事を済ませた帰りに途中下車し、別の用事を済ませることにした。
 目的地へは後ろの改札口が近いので、後ろから二つ目の車両に乗る。
 前夜、仕事で帰宅が遅く、寝たのは深夜を大きく回ってからだったせい
か、車内に差し込む明るい日差しは子守歌のごとし。
 目をつぶった。
 と、
「扉が閉まります」
 のアナウンスに飛び起きた。
 深く寝入っていたのか、身体は、誰もいない横の座席の方まで大きく傾
いている。
 窓の外の駅名表示は、降りる駅だ。
 飛び降りる。
 あれ・・・。
 何か忘れている気がして、周りをきょろきょろ。
 そうだ。
 私は手提げバッグを二つ持っていて、一つは腕を通していたので持って
いるが、もう一つが、ない。
 慌てて、車両に逆戻り。
 あった。
 これはもう、次の駅で引き返すしかないな。
 が、扉は閉まらない。
 再度、走り降りた。
 ついていた。
 ところが、改札口を出たら、見知らぬ光景である。
 標識の指示どおりに地上に上がるが、標識のUの印が示す道がわからず、
改札口に逆戻り。再度地上に出て、人に尋ねた。
 そこからだと、私が行きたい所の裏門に至るらしい。
 ・・・あっ!
 後ろではなく前の改札口から降りるべきを、私は勘違いしていたのだ。
 馬鹿だなあ。
 でも、電車を乗り過ごさなかったし、際どいところで手提げバッグを置
き忘れずに済んだ。
 それを思えば、少し余分に歩くぐらい、どうってことない。
 けど、どうして、私がバッグを取りに戻り、再び降りるまでの時間の猶
予があったのだろう・・・。
 あっ。
 何か忘れているみたいだと困惑してキョロキョロする私。
 慌てて車両に戻る私。
 そんな私を、最後尾の車掌が見ていて、扉を閉める操作を少し待ってく
れたのではないか。
 その車両に乗ったのは間違いだった。でも、そのおかげで、その車掌の
親切に救われることになった。
 本当についていたんだなあ、私。
 お礼を言えなかったけど、あの時の車掌さん、ありがとうございました。

先延ばしする癖

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
 ちゃんと解決したら忘れて当然、ということだ。
 でも、私は「解決していないけど、とりあえず保留」の状態になっても、
そうなる。
 去年の年末。
 印刷ができなくなった。
 レーザープリンターのトナーはなくなりかけていた。
 でも、年賀状を印刷できた。
 その途中で印刷が掠れたら、私はすぐに買いに走っただろう。
 なんだか賭けを楽しんでいるみたいな私だなあ。
 でも、印刷できなくなったのは、トナーのせいではない。
 カセットに入れたA四用紙で印刷しようとして印刷ボタンを押したら、
黄色や緑が点滅して、そのままになる。
 過去にメーカーの相談室に電話した際のやりとりから、こういう時はま
ずこうする、というのを学んでいたので、やってみるも変化なし。
 電話相談が長期休暇に入る前日である。
 ぎりぎりで間に合ったから運が良い、と言うべきなんだろうけど、なん
でこんなぎりぎりで、と胃が痛い。いや、胃は健康なんだけど。
 電話をしたら、回線が混み合っているという案内。
 ほうらね、最後まで気を抜いてはいけないのだ。
 昼前でお腹が空いていた私は、チーズをひと口食べてから電話が繋がる
まで頑張ろうと思うが、食べに立つ時間が惜しい。
 朝、書類を作って印刷し郵便局から送るという予定が大幅に狂い、今日
中に間に合うのか。
 幸い、何度かかけ直したら電話は繋がった。
 まずすべきことを指示されたのは、すでに私がやってみたこと。
 次に、少し待ってくれ、調べるから、と言われ、無音の受話器に向かう
こと二度、三度。
 そのあいだに、ふと、年賀状同様、手差しなら印刷できるのではないか
と閃き、やったら、できた。
 とりあえず、その日の目的は達成できる。
 電話口に戻ってきた担当者にそう告げた。
 担当者からは、その現象だと出張修理でしか直せないと言われる。
 新品を買うより高くつくので、即、却下。
 パソコン関連については、私は迷わないのだ。
 が、その状態で今に至っている。
 手差し印刷で間に合っているし、まだトナーは寿命が尽きていないから。
 嫌な事はもちろん、嫌な事でなくても先延ばしにする癖はまずい。
 でも、直らないのは、直す気がないからかもしれない。
 だって、先日も、連絡しそびれていたと気づいたけれど、すぐ知らせな
くてもいいので気にかけるだけにしていたら、郵便物が来て、私はちゃん
と連絡していたことが判明したのだ。 

嫌がらせ広告

 いつ頃からか、広告が美しくなくなった。
 テレビ広告、新聞広告。
 視聴者や購読者が高齢化し、そういう対象層に売れる商品は、なくても
いいけどあったら心がときめく、という華やかさとはそもそも無縁。
 だとしても、大手の媒体の広告は、アートにも通じる映像、画像だった
らなあ。
 先日、新聞の全面に梅沢富美男の顔が大写しの広告が出た。顔をしかめ
て、指を口に突っ込んで。
 何これ・・・。
 テレビで動いている彼を見ている分には別に嫌いではなかったけど。
 こういう広告に出たら自分の名に傷がつく、とは思わなかったのだろう
か。
 一度見ただけでも嫌な気分になるのだから、何度も出現する不愉快なイ
ンターネット広告にはさらに心が汚される。
 見たくないからバツ印を押すと、グーグル発信の広告であると表示が出
て、「この広告の表示を停止」が押せるようになっているから、押す。
 三つか四つ選べる画面に切り替わるので、
「広告のコンテンツが不適切」
 を選択。
「今後その広告を表示しないようにします」
 と変な日本語が出る。
「この広告」が正しいんだよ。
Googleはこの広告の表示を停止しました」
 という文章の場合もある。
 けど、そのホームページの次のページを見たら、また、その広告。
 また、バツ印を押す。
 いたちごっこ
 一度だけ、アダルトビデオ系のが出たことがあるが、多いのは目の下の
クマを指差している老人。そのクマの上に三角形の目印を付けた、さらに
過激なバージョンのもある。
 若い女の子のクマは、画像処理技術で作成したのだろう。
 三歳ぐらいの子供に長い睫毛を付けさせた気持ち悪いのもある。
 今は、男が口を大きく開けて汚い口の中を見せ、上の歯だけ異様に白い
広告が続いている。
 そのページを見なければ、こういう広告を見させられなくて済む、とい
う誘導の仕方で、そのページへの来訪者を減らしたいのか。
 単に人を嫌な気分にしたいのか。
 そう思うのは、これがターゲティング広告だとしたら、私はこの手の商
品を閲覧したことがないからだ。
 幸い、日本将棋連盟のホームページから、ようやくこの手の広告が消え
た。
小柳ルミ子が暴露、〈~~色の歯は洗面所のあれで磨いて〉九割が知ら
ない裏技を暴露」
 は、小柳ルミ子の箇所が「伊藤家の裏技を暴露」に変わった。
 が、
仲里依紗の裏技」
 というのもある。
 「裏技」という言葉に引っかかると思われているのかなあ。

視覚で、記憶

 新型コロナウイルスがまた広まっているが、私の生活は、始まった時か
らほぼ自粛。
 でも、ささやかながらも、日々、何かしら、事は起こり、心は動く。
 万年筆のインクがなくなりかけているが、買える場所が近くにない。オ
ンラインで買うほどでもないと思い、何年かが経過した。
 と、陽性者数が最小になった去年の秋、同僚とランチに行った百貨店で
取り扱っている。
 早速、買ったインクを入れたら、何日間も使わなくても、すっとインク
が出る。これまでは掠れて書けなくなるので、毎日使わなくてはという強
迫観念に襲われていたが、そうか、インクも古くなりすぎると駄目なのか。
 二年前、冬の彩りになると思って買ったシクラメンをうまく夏越しさせ
られなかったようなので、去年の年末、白地にピンクのを買った。
 次々開花してくれている。
 と、近所の花屋でミニシクラメンが安売りになり、つい、一鉢購入した。
 これで十分。
 のはずが、年明けに新たに二鉢安売りが出ると、花数の多い方を買いた
くなった。馴染みの店員が、もう片方は買い手がつかないだろうからと、
二つ抱き合わせでその価格で、と言ってくれて、ああ、幸せ。
 でも、ミニシクラメンだけでも、赤、濃いピンク、紫の三色が我が家に
揃って、私は花屋か。
 強欲だなあ。
 強欲と言えば、希釈用のカルピスのおまけだ。
 三本買ったら一つもらえるおまけ目当てにカルピスを買い、もう一つほ
しくなって数日後に行ったらもうなかった経験を踏まえ、次の時は一度に
六本買った。
 今回のおまけは、一本にコップが一つ。
 コップは二つあればいい、と二本購入。
 しかし、どうせなら三色ほしくなり、翌朝行って、念のための予備も含
めて三本買った。
 五個のコップで私の収集欲はおさまってくれたようである。
 そんな心の動向を、毎回、コップを使うたびに思い出す。
 物は記憶を引き出す鍵なのかも。
 では、物じゃない場合は。
 年末に黒豆を炊いたら、目を離した隙に吹きこぼれ、でも、今のガスコ
ンロは自発的に火を消してくれて、使う人をちゃんと守ってくれるんだな
あ。
 けど、掃除をし終わったガス台は、もう汚れた。
 年末の作業は順番が肝腎だと心に刻んだ。
 そして、すぐに忘れた。
 思い出したのは、今日、ガス台に水をこぼしたからだ。
 似たような場面も、記憶を呼び覚してくれるみたい。
 でも、筆頭は物だろう。
 だから、忘れたら困ることは、目に付く所に置く。

配送狂騒曲

 前回のメルマガは、配送で問題が生じた。
 三十分経っても配送完了にならない。
 その配送手配をキャンセルして、新たに配送手配し直した。
 が、やっぱり同じことになる。
 しかも、配送手配をキャンセルした分の情報が配送予定の欄に反映され
ていない。
 営業時間は平日のみだが、配送会社にメールを書いた。
 翌日、日曜日の朝。
 配送ページに変化はない。
 同じことになると思うけれど、現状を伝えるメルマガの準備をし、すぐ
に送った。
 いつも、私は書いたら、「すぐに送る」配送方法を選ぶのだ。
 やっぱり、同じ。
 その時、気がついた。
 即配送を選んだのに、配送予定の欄の時刻は、すでに一分ほど過去の時
刻である。
 過ぎた時刻を指定したことになるから、そりゃあ、配送はされないだろ
う。
 原因はわかった。
 じゃあ、時間指定で配送手配してみよう。
 時間指定は、最短で三十分後しか選べないので、これまで選んだことは
なかったのだが。
 すると、わずか数分後に配送された。
 私自身にも送られてきたので、確認できたのだ。
 そこで、改めてメルマガを準備して配送。
 これでよし。
 ところが。
 その後ほどなくして、配送完了というメールが、どどどどっと送られて
きた。
 えっ、キャンセルした分も配送されたの。
 午後には、配送会社のサポートから、配送表示が不具合になっていたと
返答が来たので、この件について改めて問い合わせてもいいけれど、もし
同じのが何通も送信されたとしても、取り戻す手立てはない。それに、日
曜なのに対応してくれた会社の誠意も嬉しい。
 これについては不明のまま、捨て置くことにした。
 それにしても、このメルマガは、フランスに送った小包の追跡ページが
永遠に配送完了にならないことに関する内容だったので、まさかそれが今
回の配送トラブルを呼び寄せたってことはないわよね。
 ところで、今度は日本国内である。
 私宛ての荷物が「今持ち出し中」の表示になっているが、私はもう出か
けなくてはいけない。
 そこで、インターネットで配達時刻を変更したら、その五分後に荷物が
届いた。
 その情報が配達人に届いていなかったらしい。
 でも、外出前に受け取れたから、私は満足。
 さて、追跡ページである。
 配達希望受付も、お届け済みも、ちゃんと載っている。
 さすがだ。
 ただ、すべてにおいて、こうであって当然、と思うと、曖昧さや、いい
加減さを許せない偏狭な精神になるから要注意、とは思う。

フランス事情

 配送状況の追跡ページで、フランスの知人夫妻に送った荷物が二日続き
で「保管」表示になり、不安だったが、メールでやりとりして、彼らが四
日後にハンガリーから帰宅するとわかり、月曜日を待った。
 週末に郵便配達はないはずだから。
 ところが、月曜日も配達状況の表示は「保管」。
新型コロナウイルスのPCR検査が陰性だったら、土曜日に帰る」
 ということだったので、もしや陽性だったのか。
 再び不安に襲われる私。
 翌日、無事の帰宅と、郵便局に行って荷物を受け取ったというメールが
来た。
 受取人が自ら郵便局に出向いたら、追跡サービスの端末機器に配達完了
の入力をしなくていいというのがフランス流なんですかい。
 そう言いたくなるが、こういう「抜け」が人間味となる場合がある。
 パリからモンサンミッシェルへの旅行の帰りに、駅に早く着いたので、
新幹線の予約を変更したい。
 窓口で切符を見せたら、カップル用の切符は割安な分、変更できないの
が条件だと、知っていることを指摘されて、あえなく撃沈。
 けど、フランス人気質に期待して、私は、
「あっちの窓口で聞いてみる」
 と言うのも、そこの係員は風采のあがらない年配男性だったのだ。
 掛け合ってみたら、うふふ、あっさり変更してくれた。
 そして、別の折には、同じく新幹線だが、友人知人が住む地方に向かう
パリ発の車内でのことだ。
 事前に電話で友人と話をし、帰る日を変更することにしたので、
「その手続きは降りた駅ですればいいのですか」
 と車内を見回りに来た乗務員に聞いた。
 すると、時刻表を調べて、私が乗りたい新幹線に、私と同じ駅から勤務
する予定になっているので、
「駅で僕を見つけてくれたらいいですよ」
 私は、手続き変更に取られる時間を惜しんで、彼の好意を信じることに
した。
 駄目なら、駅で順当に手続きすればいいんだし。
 果たして、無事、彼と再会し、持っている切符で乗車できた。
 ただ、彼はパリの手前の駅で降りる。
 そこからパリまでのあいだに別の乗務員に咎められたらどうしたらいい。
 すると彼は、切符の裏に、そういう詮索は無用、というような言葉を走
り書きし、サインをしてくれた。
 私は、お礼に彼の頬にキス。それも奮発して左と右に一度ずつ。
 杓子定規が必ずしも良いとは限らないと教えてくれるフランス。
 その懐の深さ。
 しかし、良き臨機応変さが「抜け」となることもある。
 どちらも愛するしかないか・・・。

ヨーロッパ事情

 フランスの友人の大半と、誕生日などのプレゼント交換はもうやめたが、
ひと組の夫婦とのクリスマスプレゼントの習慣だけは続いている。
 絶対間に合うと計算して十二月十日に送った去年。
 先方に着いたのは、クリスマスを過ぎ、もうすぐ年明けになろうという
二十九日だった。
 日本国内の配送状況も三日間ほど通常より時間がかかっていたから、新
コロナウイルスの影響があったのかも。
 でも、フランスの飛行場で、なぜに、そこから十日間、無為に留め置か
れる必要があったのか。
 解せない。
 しかし、その事実に学び、今年は十二月に入ったらすぐ出すつもりだっ
た。
 なのに、十一月二十九日。
 オミクロン株の水際対策で、日本は、翌日、三十日午前零時から外国人
の新規入国を禁止するという。
 一日ぐらい、と油断したら、その一日が大差となることがある。
 飛行機の減便を予想し、まだ十一月だが、三十日の朝、郵便局から送っ
た。
 すると、今回は通常の配送日数で、八日目の今週火曜日に相手宅に配達
された。
 が、配達状況は「保管」。
 翌日も「保管」。
 その欄に「保管期限」という見慣れぬ言葉が載り、空白だが、もし知人
夫妻が長期のクリスマス休暇に出発していて、すぐには帰ってこないとし
たら。
 プレゼントなんだから、本当は突然受け取って、驚いてもらいたい。
 でも、それよりも、確実に受け取ってもらうこと。そして、私自身の不
安解消。
 知人にメールで状況を伝えた。
 すぐに、「今、ハンガリー」という返答。
 PCR検査が陰性なら、まさしく今日、家に戻るらしいので、私のプレ
ゼントはちゃんと受け取ってもらえそうである。
 それにしても、彼らはなにゆえハンガリーなのか。
 歯の治療のためだった。
 去年、弟夫婦が治療してもらったら非常に良くて、今回、一年目の経過
観察でまた行くというのでそれに同行し、自分達も治療してもらったのだ
という。
 フランスで治療したら四十パーセント高くつく。
 浮いたお金でブダペスト旅行を楽しめたのなら、いいのだろう。
 けど、歯は、病気治療でない時も、定期検診で歯石を取ってもらったり
した方がいいと思うけど。
 彼らはコロナワクチンを打っていないし打つ気がないので、フランスで
は行動を大幅に制限されるが、ハンガリーでは一切そういうことはなく、
久しぶりに自由を満喫したらしい。
 これも、「よかったね」と言いたいけれど、うーん、いいのか。

渋すぎる趣味

 私は、朝晩、体重を測り、カレンダーに記入している。
 先月の最終日、三十日のカレンダーの枠に記入しようとしたら、もう埋
まっている。
 その日の分を翌日の枠にも書いてしまった日は・・・ない。
 カレンダーが日曜、スケジュール帳が月曜始まりだと、曜日の枠を直感
で把握する能力が発揮できない憂鬱について、前回書いたら、すぐにその
せいの具体的な混乱が具現化したなんて。
 すごいタイミングだ。
 ただ、そのカレンダーはフランス製の月曜始まりなので、いつかはこう
いう間違いが起こっても仕方なかったかも。
 この頃、昼間テレビでやっている古い海外映画の再放送を、よく見る。
 番組欄で『子鹿物語』という言葉を見た時、小学生の私に父が買ってく
れた本だったので、懐かしくて、見て、それから、この時間帯の放送を好
んで見るようになったのだ。
『愛情物語』では、主人公の男性が戦場でピアノを弾いた時のメロディが、
単純なのに耳に残る名曲で、曲名がわかれば、最後まで聴けるのになあ。
 その曲名を知る日が来た。
 これまた過去のドラマの再放送だが、『刑事コロンボ』の中でコロンボ
がつたなく弾いたのがその曲で、殺人犯の指揮者がその曲名を口にしたの
だ。
 Chopsticks。
 そうとわかれば、動画で探せる。
 そう言えば、『プライベート・ライアン(Saving Private Ryan)』で
敵の接近を待つしばしの休息の中、村のスピーカーから流れるフランス語
の歌詞と曲に心惹かれたのは、しばらくして、フランスの友達がくれた恋
の名曲百選のCDの中に収められていた。
 Tu es Partout(あなたはどこにもいる)
 私が映画で聴いて初めて曲名を知りたいと思った記念の曲だ。
 これら一連は、私にとって「良きタイミング」だった。
 望んでから叶うまでに時間差がありすぎたかもしれないが、頑張って探
さないのに、勝手に答えがもたらされたのだから。
 完璧に他力のおかげなのだから。
 ところで、『わが谷は緑なりき』や『黄色いリボン』では、声帯が太い
アメリカ人の合唱を聴き、合唱というものに初めて魅了されたし、ドリス・
デイや当時の俳優、女優達の、スターという名にふさわしい才能に驚かさ
れた。
 だが、みんな、死んだ。
 誰かとこういう話をしたいが、相手は見つからないだろう。
 私自身、変な趣味にはまったなあ、と思うぐらいだし。
 けど、これも、私のタイミングなのだろう。

レジの無人化とか

 生命保険の外交員から来年の卓上カレンダーが届いた。
 中を見て、ああ、やっぱり。
 紙面が小さいから曜日の表記が今回も一種類。
 でも、なんで英語。
 真ん中の枠は水曜、と無条件で信じられたらいいのだが、カレンダーは
日曜、スケジュール帳は月曜始まりという個人的な現状が、私にそれを許
してくれない。
 毎回、曜日を確かめる無駄な数秒。
 しかも、英語表記だと、日本語に訳す数秒がさらに加わり、イライラッ。
「えーっ。菊さんが」
 叔母に驚かれた。
 けど、カレンダーやスケジュール帳を見る時は気が急いている。そうい
う時は、母語じゃないと認識が数秒遅れる。
 私がこの話をしたのは、叔母から、
「オン、オフってどっちがどうやったっけ」
 と聞かれたあとだった。
 叔母曰く、近頃の家電製品は「入、切」表示が大半になったが、スマホ
だけは「~の時はオンを選んでください」みたいな表示が出る。
 オン、オフという言葉を久しく使っていなくて間違ったら困るから、教
えて。
 なるほど。スマホは、横文字を恰好良いと思う人達が中心層だから、そ
うなっているのか。
 近くのスーパーマーケットで、ある日突然、客自身がレジ横の器械のパ
ネルを操作して支払う形式に切り替わった。
 嫌な時代になったと言ったら、またまた叔母に驚かれたが、お金が絡む
ことでこの手の操作は、使いこなすしかない一定の対象のみには順応する
けど、その手のものはなるべく増えてほしくない。
 現金払いで買い物する商店街の店に行きたくなった、と言ったら、
「昔は、上から吊したザルからお釣りを出してくれたりしてた」
 と懐かしく回顧する叔母。
 その経験のない私はふむふむとその情景を想像。
 すると、叔母が言った。
「だんだん取り残されていく。付いていけないことが多くなって、生きて
いても仕方がないって言われている気がする」
 そうよね。わかる。
 ただ、人が最先端の便利さを便利に使いこなせる期間は、長くは続かな
い。
 歳を取ったら、実体あるもので認知するという原始的な能力に還ってゆ
く。
 でも、その原始的な能力があれば日常生活を送れるのが、皆に等しく平
等な社会。
 家電製品が日本語表記になってきたのなら、他の分野でもそういう変化
は起こるだろう。
 未来の年老いた自分のため、という視点を持てる技術開発者達は、きっ
と現われる。
 ただ、生きているうちに間に合ってくれるかはわからないけど。
 ・・・うまく慰められなかったかなあ。

「残り一点」相場

 家用の服は色違いを二枚か三枚買う。
 でも、まとめ買いではない。
 いくら家用で、いくら安くても、店で試着しないのなら、家で着て、も
う一枚あった方がいいと思ったら、日を改めて買いに行くのだ。
 お腹とお尻を冷やさないように履くショートパンツのようなインナー。
 去年の冬の終わりに値下がりしたのを、さすがにこれはその時に二枚買
い、先日、履こうとしたら、股の部分が破れた。思ったより伸びない生地
だったのが原因だが、お金をドブに捨てたようで、悔しい。
 こういうことがあるから、やっぱり、まずは一枚。次の一枚は日を改め
て、なのだ。
 けど、マグカップは、予備は買わない。
 飽きて、そのうち、新しいのがほしくなりそうだから。
 ところが、底辺が九十七ミリで、飲み口も同じ大きさの円筒形のマグカ
ップは、四百ミリリットル入る少し大きめサイズだが、軽くて、持ちやす
い。
 洗剤で漂白しても取れない茶渋汚れで白い地の色が少し濁ってきた気が
するのは、長年愛用してきた必然か。
 ところが、この手の幅広の円筒形のがない。
 もう一つ買っておくべきだった。
 あ、けど。
 以前、iMac用のキーボードカバーが劣化し、真ん中あたりがお餅のよう
に膨らんでタイプの指の操作に支障が出始めたので、替えを買いに行った
ら、ない。キーボードが新しくなり、古いキーボード用のカバーは取り扱
われなくなったのだ。
 予備を買っておかなかったことを悔やみ、なんとなくインターネットで
探したら、Amazonに出ている。値段も安い。
 改めて店に行き、その話をしたら取り寄せてくれた一件があるので、イ
ンターネットで探したら、私のマグカップの、別の絵柄のが見つかった。
 オンライン通販サイトの三つに掲載がある。
 Amazon 以外は定価の三倍以上の値段。
 Amazonは五十パーセント弱の上乗せだが、良心的に見えてくる。
 ある、とわかったら安心して、すぐに買う行動には向かわず、二ヶ月ほ
どして見てみたら、Amazon以外のサイトから消えている。
 焦って、Amazonで注文。
 直後に「一時的に在庫切れ;入荷時期は未定です」の表示になったので、
最後の一点だったのか。
 ちなみに、前述のキーボードカバー。
 Amazonで、今、値段が二倍以上に跳ね上がっている。
 これも「残り一点」の表示だ。
「残り一点」相場ってあるんだなあ。
 予備を買っていないと、高値とわかってつかまされることになると知っ
た。