日記で思い出す

 薬を置いてある一画に、大量の漢方薬が入った薬局の紙袋を見つけた。
 一日朝昼晩三回で二ヶ月分の処方だったら、このぐらいの量になる。私は
ほとんど服用せず、放置していたようだ。
 薬の名前を見るが、なんのために処方してもらったか、思い出せない。
 調べればわかるけれど、随分前の薬なので捨てた方がよかろう。だったら、
調べて、無駄に頭に負荷をかけることはない。
 捨てた。
 翌日、
「菊さん、四十肩になったことがありますか」
 職場で聞かれた。
「ありますよ~」
 私は右肩で、物干し竿に手を伸ばすと痛っと思うし、腕が肩より上がらな
い状況がかなり長く続いたと話す。でも、気づいたら治っていました。
 そして、彼女の前で、久しぶりに背中で両手の指を触れ合わせてみたら、
右手を下から回す時は上腕部が少し痛く感じたので、まだかすかな後遺症は
あるとわかった。それでもちゃんと指と指が触れ合ったので、回復直後より
一層回復が進んだと見ていいだろう。
「私は春からなんです。それも両肩で、寝ても痛いんです」
 それは私にはなかった。
 でも整形外科に行かなかったが一年ほどしたら治っていたと伝え、この話
は終わった。
 が、家に帰ると調べた。
「四十肩」と入力してパソコン内のファイルを検索したら、この日記の過去
の号がヒット。
 あっ、私は二度経験していたんだ。
 腕を捻るストレッチを頑張って発症した二度目の方が症状が長引き、その
記憶が強くて、この一回のみだと思い込み、同僚にもそう話してしまった。
 この時に漢方薬を処方されていたらしく、調べたら、それが前日捨てた漢
方薬だった。
 結局、調べて解明することになったわけである。しかも、捨てた次の日に。
 また、真冬に寝る時『あずきのチカラ』の首肩用を使い始めたきっかけは
覚えていなかったが、肩を温めるのはいいかと漢方薬を処方してくれた担当
医に問うと、良い、と言って、これを勧められたのだった。彼は、眼精疲労
対策に目元用を使っていた。
 書いてあるのを読み返すと、詳細を思い出せる。
 日記は、未来の自分のために役に立つこともあるんだなあ。
 昔の人が、やっぱり誰のためと言うこともなく、ただ書きたくて書いてい
たら、後世の人が当時の時代考証をするための重要資料になったりしている。
 ということで、今日のささやかな発見。
 洗濯物を取り入れたら、洗濯ばさみに黄緑色のカメムシが付いてきた。
 絶句。
 だって、今はもう十二月。

間違い電話

 たまにかかってくる間違い電話。
 またすぐにかかって来る時は、相手が番号自体を間違えている。
 普通は、押し間違えただけなので、再度かかってくることはない。
 今朝、家の電話が鳴り、呼び出し音が一度鳴ると、私はすぐに受話器を取
った。
 呼び出し音が二度鳴って切れることがよくあるからだ。
 その後、半時間ぐらいしてまた電話が鳴った時があり、今度はすぐには切
れないので出たら、いらない靴はないかと問われ、引き取りに来てもらう約
束をしたが最後、金製品など金目の物を出せ、そうでなければ手ぶらで帰れ
ぬ、と玄関先で居直られることになる押し買いの電話だった。
「あー、ないです、ありがとう」
 相手の言葉を遮って受話器を置いてから、さっき二度鳴って切れた電話は、
この電話をかけるために事前に在宅の有無を調べるためだったのかと思う。
でも、こちらに応答させないのだから、それは変。
 こちらからかけ直したら相手の思う壺になる詐欺目的だったとしたら、あ
いにく、うちの固定電話には相手の番号が表示されない。
 この番号が使われているか否かを調べたいだけの場合もあるらしいが、目
的が不明なので、その方が気持ち悪い。
 なんにせよ、二度鳴って切れる前に出たら何かわかるかも、と出たことが
ある。ざわざわとした音が聞こえるだけだった。
 けど、その後も、固定電話は、一度鳴ったら、すぐ出ようとする私。
 今朝もそうした。
 すると、
「おはよう、田中です」
 まず挨拶、そして名を名乗って、すこぶる好印象。
 だが、私は言わねばならない。
「あのう、間違いだと思いますが」
「えっ、すみません」
 これまた礼儀正しく、品位がある。
 もう十時半なので、相手を起こす目覚まし代わりの電話だったのではある
まい。
 そのまま話を合わせればよかったかなあ。
 話が噛み合わなくなったら、田中という名の男友達と話しているつもりだ
ったことにすればいい。
 そんな想像をさせてくれたので、今日の間違い電話はちょっと楽しかった。
 聞き慣れない男性の声と言えば、先日は、
「矢車さん」
 いきなり確かめられ、
「どちら様ですか」
 聞き返したら、高校時代の同級生だった。
 来る同窓会には、出席できることになったら連絡させてもらう、と返信し
ておいたが、来ないのか、と問われる。
 その電話をもらった日の昼間に都合がつくことになったが、面倒なので欠
席のままでいいか、と思いかけていた私は、
「出るわ」
 と答えたのだった。

医者の言葉

 去年、叔母が骨折で入院した際、医療機関新型コロナウイルス対策の真
っ最中で、娘ですら病室に上がれなかったら、家族でない私は見舞いに行け
るわけがない。
 叔母にショートメールを送った。
 初めは体調はどうかなど病気のことを訊ねたが、そのうち、今朝は空が澄
んでいるとか暖かいとか天気のことを書くようになった。叔母のことを気に
かけていると伝えるためだからで、天気の話題はいつでも安全牌。
 ところが、退院後しばらくして普通の生活に戻った叔母から、当時は私か
らのメールがあまり嬉しくなかった、と告白された。
 自由に外に出かけられる人の別世界の話を聞かされている気になったのだ
とか。今になって振り返ると、当時の自分は心がひねていたのだろう。
 叔母は退院したが、私は、朝、不定期にショートメールを送る習慣を続け
ている。やっぱり、天気の話が主だ。
 叔母からの返信も似たようなもの。
 たまに、
「今、家ですか。時間があったら電話していいですか」
 と打診があり、そういう時は叔母の長話に付き合う。
 先日、この叔母と叔母の娘一家と会った。
 その前に会ったのは新型コロナウイルスが始まる前だったので、久しぶり
に楽しいひととき。
 翌日、叔母から、今から電話していいか、というメール。
「いいよ」
 叔母は本当は昨日聞きたかったが話題としてふさわしくないかと思い口に
しなかった、娘にも話していない、と前置きすると、二週間ほど前に注射で
痔の処置をしてもらって以降、ずっと膿のような物が出て、診察に行った時
に医者に話したら、
「そういう人もいると言われた」
 と語る。
 医者に相談したのに、叔母の不安は払拭されなかったのだ。
 叔母の話を聞きつつパソコンで検索していた私は、
「浸出液と言うらしくて、傷口が良くなっている証拠なんだって。徐々に治
まるけど一ヶ月ぐらいはかかるみたい」
 と伝え、
「ああそう!」
 叔母は声が明るくなった。
 一方、私は、
「なんで医者がそう説明してくれないかなあ」
 と苛立つ。
 だって、浸出液なる得体の知れぬものに困惑している患者に医者が「そう
いう人もいる」しか言わないって、どうよ。
 私がささっと調べても似た説明が複数得られたということは、この分野で
は当たり前の経過なのだろう。でも、患者が不安がっているなら、
「それはこういうとだから」
 とか、面倒がらずに言葉を足してこそ、その道のプロではないか。
 言葉一つ。
 特に医者の場合は。

File Zilla(ファイルジラ)

 技術の進歩はすごい。
 インターネットを介してクライアントとサーバ間でファイルの転送をする
FTPなる仕組みも、そう。
 でも、個人的には未知のことにはなるべく巻き込まれずにいたい。
 しかし、七月に来日したフランス人の友から、このFile Zillaをダウンロー
ドしてくれとメールが来た。
 彼女の夫は旅行中ずっと重たいビデオカメラを担いでいて、撮った動画は
あとで編集して旅日記としてまとめるのが趣味らしい。
 今回は三週間の日本旅行なので編集に時間がかかると言われていたが、よ
うやくできたビデオ日記を私に送ってくれるのにFile Zillaを選んだのは、ビ
デオ関連の仕事をしている夫にとっては自然な選択だったのだろう。
 十五日間だけアップロードしておくと言われたら、なるべく早く、もう入
手保存したと報告したい。
 送られてきたURLはウィンドーズ用だったので、Mac用のを探して、
ダウンロード。そのぐらいの判断力はある。
 ところが、ソフトが開かない。
 二度三度試すが、駄目。
 アップルケアに電話したら、担当者からこのあと時間はあるかと問われ、
受付の最終時刻まで四十分あるのに、それも超えてしまいそうってことなの。
 小一時間かかったので、担当者の予感は当たった。
 ソフトのアーカイブファイルが解凍できないのはFile ZillaのMac用が不
完全だから。安心できる無料ソフトを入手し、File Zillaのページが開くとこ
ろまで見届けてくれる。
 アップルの純正品でないことの相談にここまで対応してもらっただけでも
感謝だが、ここからは私一人で、と優しく背を押されると、それは当然のこ
となのに、途端に心細くなる。
 ホストやユーザー、ポートの空欄に何を入れたらいいの。
 友にメールで訊ね、教えてもらったURLをホスト欄に入力したら、旅日
記のファイルが可視化された。
 もう夜。
 でも、我が能力を考えれば、ここで作業を中断せず完了してしまう方が安
心だ。
 すると、ビデオ日記のダウンロードに深夜一時過ぎまでかかったのだった。
 一時間四十八分の長編ビデオ。
 全部見るのは後日にしたが、バックミュージックも付いて本格的な仕上が
りには感心させられた。
 七夕の日の平安神宮で風鈴が涼やかに鳴り響いていたのをまた聞けたのは、
さすがビデオだ。
 ただ、七月の蒸し暑さは動画でも伝わらない。
 いつかそれも追体験できる技術はできるだろうか。

マジックマウス

 充電し終えたマジックマウスを動かしても、iMac上でポインターが動か
ない。
 直近で何度かこの現象が起こっていたのは予兆だったかも。
 マウスの電源を落とし、再度入れ直しても、駄目。
 心を落ち着け、有線のマウスを引っ張り出してきた。
 こういうことがあるから、もう使わなくても有線マウスは断捨離できない
のだ。
 有線マウスでポインターが動かせることを確認して、アップルケアに電話。
 言われた操作を幾つか試し、修理か買い換えの二択しかないと告げられた。
 なんでも、マウスを充電する時ブルートゥース接続が解除され、充電後に
再度接続されるが、その際、不具合が起こることがあるらしく、今回がそう
だったみたい。
 冷蔵庫が壊れた時に、機械物は調子がおかしくなったら早く買い換えるべ
しと学んだ私に、新しいのを買う以外の選択肢はない。
 行きつけの家電量販店に電話。
 いつも担当してくれる人は休みと言われ、じゃあ、買うのは明日にしよう
か。
 在庫のある品番を教えてくれた。
 それは最新のマジックマウスで、アップルケアに相談した際、壊れたマウ
スと同じのを買った方が私のOSのバージョンとの相性の点で不安はないと
言われていたので、アップル・ストアのオンラインに電話。
 品番を告げるが、品番ではわからないと言われる。
 見た目はまったく同じなので、サイトの写真を見てもわからない。
 しかも、壊れたのはマジックマウス2で、最新のは単にマジックマウスと
いう名称ゆえ、名前からは新旧を逆だと判断したくなる。
 私が食い下がると、調べて、今売られているマウスは第三世代だと確認で
きたと言われ、私のOSにも対応しているというので、購入手続きを頼む。
 店に買いに行ってもオンラインで注文しても、入手が明日の午前中になる
のなら、仕事前に買いに出るのは気忙しい、と考えを変えたのだ。
 馴染みの店員には後日会いに行けばいい。
 けど、ならば、なぜ今日買いに行かない。
 有線マウスは動きがもたもたして、使いづらいのだ。
 注文を中止し、店に行った。
 帰宅し、新しいマウスに電源を入れたら、ここに至るまでの狂騒曲が嘘み
たいに普段の静けさが戻ってきて、改めて何も起こらないのが一番だと思う。
 バージョンアップも新しいアプリも、なしがいい。
 ところが、七月に来日したフランス人にアプリのダウンロードを
求められ、今回以上にあたふたさせられることになるのだった。

喪服

 私は物持ちが良い。
 服なら、五年前に買ったのは私の中ではまだまだ歴史が浅いし、スカーフ
やマフラーは、一度買ったら、捨て時ってあるの。
 とは言え、問題は既視感だ。
 その季節が巡ってくると、懐かしさより、
「ああ、またこれ」
 見飽きたのなら、着飽きるかも。
 しかし、そう思った気持ちは、実際に身につけたら雲散霧消。
 もう着ないのなら、これに代わるのを買いに行かねば、と思うと、
「ああ、億劫」
 と感じ、その気持ちの方が上回るからだろう。
 何年経っても、穴が開いた、なんて物理的寿命が来ないのが良いのか悪い
のか。
 身長がぐんぐん伸びる若い頃は、嫌でも服や靴を買い換えねばならないが、
見切りが付けやすくなる点では、いいことだなあと思う。
 そういう必然がなくなり、時が止まったみたいになっている私。
 先日、法要があった。
 軽装でと言われても、黒の服の持ち合わせはないので、考えずに済む喪服
の出番となる。
 昔、母が買ってくれた喪服。
 喪服は、それこそ一生物
 用意周到に準備してくれた母に感謝だ。
 ワンピースが膝丈なのが若い雰囲気に思えるけど、ま、いいか。
 しかし、電車で座ると、
「・・・」
 ワンピースの裾が膝上になり、短すぎないか。
 そして、袖は半袖。
 真冬は上着を脱がないから、長い肌着を着て、それがワンピースの袖から
出てもそれでいいのだと言われていたが、この日は上着を脱いでもいいよう
にしてゆき、正解だった。
 十月でも、室内では上着を脱ぎたくなったのだ。
 が、その恰好で写真に写ったのをあとで見て、またまた、
「・・・」
 後日、喪服売り場に行った。
 葬式や法要に招かれることは減る一方なので、喪服を買い直すのは愚の骨
頂だと思うけれど、喪服の現状はどうなっているのか知りたくなったのだ。
 すると、ワンピースは膝下が常識。
 袖は、上着を脱いだ時に肘が出ないよう七分丈の袖で、これも常識。
 そして、ファスナーは背中ではなく前見頃にあり、しかし、そうと悟られ
ないデザインが工夫されていて、これも今の常識だそうで、
「喪服も、だんだん変わってきているのです」
 来年、また親戚の法要がある。
 喪服を買い直すか、使い回せる黒の服を買うかは別にして、今回着ていっ
た喪服は、もう着れない。着たら恥ずかしい、と思うのに、着ることはでき
ない。
 だったら今、私が平気で着ている服の何着かは、やっぱり、本当は、着る
のはもう恥ずかしいのかなあ。

朝は、はかどる

 やらなくては、と思うのに先延ばし。
 私は無能になったのだろうか。
 幸い、仕事は、やる気が出なくても、そんな気持ちに引きずれているわけ
にはいかないので、とりあえず着手。すると、そのうち調子が出てくる。
 そう行かないのは私的な事だ。
 時間はあるのに。
 それが証拠に、今、私は中国ドラマ『陳情令』に膨大に時間を費やしてい
る。
 いくら昔の話でも、修業を極めた者は空を飛びつつ戦えるし空間移動でき
るし、なんてあり得ない。それを生身の人間が演じたら、滑稽すぎる。
 初め一瞬そう思ったのに、最後まで見、次回も見たいと思わせられたのは、
手品みたいに何もないところから剣や笛や琴が出てきても許容してしまうぐ
らい話の筋が面白そうだと予感されたからかもしれない。映像も登場人物達
も、美しい。
 でも、テレビで見たのなら、一定期間見られる見逃し無料配信で再度見る
必要はない。
 なのに見るようになったのは、登場人物を呼ぶ呼び名が複数あるし、会話
の中でそういう名前が出てくると誰のことを言っているのかわからなくて、
その人物の横に名前が出た場面をスクリーンショットで取って理解しようと
思い付いたからだった。
 次には、話の内容がよくわからなかった場面の日本語のテロップをスクリ
ーンショット。
 原作の『魔道祖師』を読めたらなあ。
 和訳はないのか。
 あった。
 オンライン購入は。
 できる。
 でも、近くの本屋で買えたらなあ。
 あ、在庫はあるのね。
 ここに至るまで、私は見事な集中力を発揮した。
 けど、ほかのことは、さらに先延ばし。
 先週の土曜日。私は朝四時二十分に起きた。
 そのために前夜は十時に就寝。
 普段ない早さゆえ、寝付けないし、寝ても夢を次々見て、熟睡できた気が
しない。
 パッと目が覚めたら、四時二十分。
 ラグビーのワールドカップ準決勝、南アフリカイングランドの生放送は
もう始まっている。でも、見逃したのは前半二十分だけなので、まあ、よい。
 試合終了後、二度寝することなく一日を開始した。
 久しく知らない朝の静謐なる時間。
 やがてカーテンの端が明るくなり、陽が昇り始めた。
 私はフランス人へのメールを三通書き上げ、ほかに先延ばしにしていたこ
とも、全部、呆気なくできた。
 夜だと無為に時間が過ぎるだけだったのに。そして私は無能だと愕然とさ
せられていたのに。
 朝早く起きればいいだけだったのか。
 この発見を話したら、大学生の女の子がいたく共感してくれた。
 今朝は四時起きでラグビーの三位決定戦を見た。

悪い予感

 電車に座るとペットボトルのお茶を取り出した。
 ところが、力を込めて回すが、蓋が開かない。
 日曜の朝の車内は閑散としていて、向かいの長いシートに若い女性が一人
きり。
 彼女はスマホを見ているけれど、時折視線を向けてくる。私が繰り返す動
作が気になるのだろう。
 よっぽど開けてくれませんかと頼みたくなったが、孤独に頑張り、観念し
て、蓋を観察。
 すると、私の知っているペットボトルはキャップ本体とそれを受ける下の
リングのあいだに隙間はあるが別個の物がくっついた時の必然である。
 一方、目の前のはキャップとリングを繋ぐ縦のブリッジが三ミリぐらい可
視できる。しかも、それが五ミリぐらいの間隔で一周。この構造だと、力が
分散して、普通の力では開けられないのではないか。
 だって、私は、握力が左は二十八、右は三十二kg。医者から優秀だと褒
められた。
 このブリッジが切れたらいいんだな。
 しかし、道具がない。
 私の爪は掌の側から見たら見えないぐらい短くて、カッターナイフ代わり
にならない。
 それでも、爪を当てたら、プチプチ切れていった。
 おかげで飲めたが、後日、ペットボトルを見て回ったら、こういう蓋は見
当たらなかった。
 さて、私はパーティに向かっていた。
 百五十人以上集まるけれど、気心の知れた者達が再会する場だ。
 それでも、私に爽やかな印象を持ってもらいたいと思うと、服装と化粧に
気をつけることになる。
 普段にはないことである。
 すると、いくつか起こりそうな困ったことが頭に浮かんだ。
 ただ、ペットボトルのことは想像になかったので、この災難が、私の頭の
中の想像すべてと引き換えに現実になってくれたのかもしれない。
 私は、この日のために白いブラウスを買ったのだった。
 ふわっと緩いシルエットで、後ろ身頃だけ裾が長く、今の流行だが、奇抜
さはない。
 しかし、左右の脇から長い紐が垂れ下がるデザインで、トイレに行った時、
紐が便器の中に落ちて濡れないかなあ。
 白い色は、食べた物をこぼしたりしないよう特に注意が必要だ。
 化粧に関しては、リップライナーで口紅の縁取りをしておくと口紅がはげ
ても目立ちにくいと店員に言われ、生まれて初めて買ったが、トイレで化粧
直しした時に化粧台の上に置き忘れないようにしないといけない。
 これらはすべて現実になった。
 予感がしていたのなら、気をつければいいだけなのに。
 我が愚かしさには呆れる。

悪い予感

 電車に座るとペットボトルのお茶を取り出した。
 ところが、力を込めて回すが、蓋が開かない。
 日曜の朝の車内は閑散としていて、向かいの長いシートに若い女性が一人
きり。
 彼女はスマホを見ているけれど、時折視線を向けてくる。私が繰り返す動
作が気になるのだろう。
 よっぽど開けてくれませんかと頼みたくなったが、孤独に頑張り、観念し
て、蓋を観察。
 すると、私の知っているペットボトルはキャップ本体とそれを受ける下の
リングのあいだに隙間はあるが別個の物がくっついた時の必然である。
 一方、目の前のはキャップとリングを繋ぐ縦のブリッジが三ミリぐらい可
視できる。しかも、それが五ミリぐらいの間隔で一周。この構造だと、力が
分散して、普通の力では開けられないのではないか。
 だって、私は、握力が左は二十八、右は三十二kg。医者から優秀だと褒
められた。
 このブリッジが切れたらいいんだな。
 しかし、道具がない。
 私の爪は掌の側から見たら見えないぐらい短くて、カッターナイフ代わり
にならない。
 それでも、爪を当てたら、プチプチ切れていった。
 おかげで飲めたが、後日、ペットボトルを見て回ったら、こういう蓋は見
当たらなかった。
 さて、私はパーティに向かっていた。
 百五十人以上集まるけれど、気心の知れた者達が再会する場だ。
 それでも、私に爽やかな印象を持ってもらいたいと思うと、服装と化粧に
気をつけることになる。
 普段にはないことである。
 すると、いくつか起こりそうな困ったことが頭に浮かんだ。
 ただ、ペットボトルのことは想像になかったので、この災難が、私の頭の
中の想像すべてと引き換えに現実になってくれたのかもしれない。
 私は、この日のために白いブラウスを買ったのだった。
 ふわっと緩いシルエットで、後ろ身頃だけ裾が長く、今の流行だが、奇抜
さはない。
 しかし、左右の脇から長い紐が垂れ下がるデザインで、トイレに行った時、
紐が便器の中に落ちて濡れないかなあ。
 白い色は、食べた物をこぼしたりしないよう特に注意が必要だ。
 化粧に関しては、リップライナーで口紅の縁取りをしておくと口紅がはげ
ても目立ちにくいと店員に言われ、生まれて初めて買ったが、トイレで化粧
直しした時に化粧台の上に置き忘れないようにしないといけない。
 これらはすべて現実になった。
 予感がしていたのなら、気をつければいいだけなのに。
 我が愚かしさには呆れる。

日本は無理

 形から入るのは悪くはない。
 だが、埼玉県で、小学三年以下の子供を自宅などに一人で放置したら虐待、
と定める条例改正案が議会に提出されたのは、悪い例だった。
 きのう、フランス北部アラスの高校で男性教師が刺されて死亡した事件で、
それを説明できると思う。
 事件直後にフランスのテレビ局が校門前で取材した相手は、その高校に通
っている娘の父親だった。娘からメッセージが来て、娘を安心させるべく、
すぐに返事を送った、と彼は語った。そして、職場から駆けつけた。
 二〇二十年に中学の教師が殺害されたが、この時も、学生達が帰宅させら
れることになり、昼間なのに迎えに来たのは父親が多数だった。
 フランスでは当たり前。
 なので、小学生の子供には親が学校や習い事の送り迎えをするのが義務に
なっているが、その義務を担うのは父親、母親、どちらもあり得る。
 ところが、日本では、保育園や幼稚園で子供が熱を出して呼び出されるの
は母親と決まっていて、仕事中の父親に連絡が行くことはまずない。
 もし埼玉県で条例案が可決されたら、明言されなくても、我が子を一人で
放置しない義務を課されるのは母親となるのが暗黙の了解だったはず。
 結婚して子供を産んだら女は家庭。働くとしてもパートかアルバイト。そ
れで初めて成り立つこの条例改正案。
 だが、人手不足で、パートやアルバイトでも、簡単に休みは取れず、女性
は大変なのだ。
 埼玉県では、そんなことも思い至らぬ太平楽な男が、西欧社会の良い所だ
け取り入れようと思い付いたとしか考えられない。
 それでも、あっ、でも、離婚して一人で子育てしている男もいると気づけ
たら、今の日本では無理だと判断できただろうに、同胞に対してすら想像力
が働かないのだから、女性に対しては、家庭運営のために無償で労働力を提
供する存在という以上の眼差しはない。
 彼らが見習いたかった西欧社会では、夕食は家族みんなで食べる、有給休
暇は国から完全消化を求められている。そして、同じ職種なら日本より給料
が高い。しかも、子供を一人で放置しない義務をこなせる。
 いや、だからこそ、と言った方がいいだろう。
 そういう国に倣って、まずは入れ物を真似するのはいい。
 でも、すみやかにその入れ物にふさわしい中身を構築するのでなければ、
世の中を混乱させるだけの愚策になる。
 十万を超える反対署名でそうとわかり、埼玉県は改正案を撤回したのだろ
う。

『陳情令』(ちんじょうれい)

 ヨーロッパの博物館で彫刻コーナーに入ってすぐ、窓際に並んだ首から上
の首像を見始めたが、さして感動させられないのに延々と続くので、足早に
通り過ぎ、メインの会場に入った途端、心が打ち震えた。そこに展示されて
いる彫刻は全然違う。
 入り口のは、ここに来た時感動が極まるよう、序の口レベルのが展示され
ていたんだ。
 見る目を持たない分野のことはわからない、と謙遜しなくても、素人は、
最高の物には素直に圧倒され、そうとわかるということなのだろう。
 中でもわかりやすいのは映画やドラマだと思う。
 有名人が主役に抜擢されても、学芸会を見せられているようで見続けられ
ない痛ましい作品もある。
 日本に入ってくる海外ドラマは、厳選されるからか、そういうのはほとん
どない。
 それでも、トルコの『新・オスマン帝国外伝~影の女帝キョセム』シーズ
ン一で女帝の若い頃を演じた女優は見ていられなかった。本国でもそういう
評価だったらしく、シーズン二では別の女優に替えられた。
 今、私は中国の『陳情令』にはまっている。
 中国物はやたらと人が空を飛ぶ。谷に飛び降りても助かる。剣でやり合う
場面では着物の長い袖が弧を描いて優美な踊りだ。
 そんな現実離れを受け容れられたら見続けられるが、そうさせてくれるの
は筋書きもあるが、やはり役者の演技である。
『陳情令』では、若い役の男性陣はみな髭跡もないつるんとした美肌で、ア
ジアではそういうのが男性美として好まれるのかと思うのは、西洋では髭も
じゃで腕も毛深い男達が主役を張るからだ。
 だが、どちらにせよ、ハンサムを突き抜けた美形に生まれ、演技力が秀逸
なら、他の文化圏の者達をも虜にするのだろう。
 そんな稀なるトップレベルを排出するには、人口が多い方が有利だ。
 さて、『陳情令』は中国でも大ヒットしたらしく、インターネットには主
役のシャオ・ジャンとワン・イーボの動画が多数見つかる。
 このドラマの台詞で初級の中国語を学ばせてくれる動画を作っている人が、
日本語訳ではニュアンスが伝えきれていないところを説明してくれているの
があり、いいなあと思った。
 でも、私は今さら勉強する気はないので、ドラマのシーンはしっかり見て、
説明は早送りにするが、メイキング映像や出番待ちの主役二人の私的な会話
の動画に日本語の文字スーパー付きのは見当たらなくて、歯痒い。
 たまに英語の字幕付きので、消化不良を解消する。

空メール

 先日、友からメールが届いた。
 本文はない。
 書く前に送信ボタンを押してしまったのだろう。
 だが、二通目が来ない。
 書く気も送る気もないのに、誤送信してしまっただけなのか。
 送った側はすぐにそうと気づくものなのか。もし気づいたのなら、ごめん
と書いて送るものなのか。そんなことをしなくても相手はわかってくれると
放置するのか。
 受け取った側はどう対応するのがいいのだろう。
 春、彼女と会った時に、私は挿し木で増やしたカリエンテを渡した。
 ゼラニウムの二系統を掛け合わせて作られた品種で、茎の先からさらに細
い茎が円周状に伸び、そこに一つずつ花が咲く。
 随分前にスーパーマーケットで、小さいビニールポットに植わった濃いピ
ンクと薄いピンクの花を見かけた。それがカリエンテだった。
 花も葉も萎れていて、買い手がつかなければ廃棄処分になりそうだが、私
が育てればちゃんと復活すると思う。
 ただ、一鉢五十円という捨て値でも、絶対に見事に咲かせる気でいる私に
二鉢の世話は荷が重い。
 薄いピンクの将来が気にかかるが、心を鬼にし、濃いピンクの方を買った。
 今、それは、挿し木を繰り返して何代目かに突入している。
 真冬の寒さにも負けず、真夏の暑さでもくたばらない。ただ、強烈な日差
しのあいだは花の色が抜けるのだが。
 いつ遊びに来るのかとフランス人達から聞かれていて、そのうちにと思っ
ているが、その時、私のプランターの花達はどうしたらいい。
 諦めるしかないのか。
 でも、このカリエンテだけは救済したい、と私の声が言う。
 同じ品種を買い直せばいいと言われそうだが、私は、このカリエンテでな
いと嫌。
 そこで、春、この友に会った時に、去年の十月に挿し木し、花芽が付いた
のを渡した。
 いつか私のが駄目になった時には、今託すカリエンテから挿し木をもらい
たいと言うと、笑って了解してくれた。
 すぐに花が咲いたと写真が送られてきた。
 だが、今年の夏は異常に暑かったので、花は大丈夫かと気になっていて、
それを確かめたい。
 でも、彼女のミスに乗じて聞くのは、やめにした。
 そして今度は、私自身が空メールを送るという失態をしでかした。
 メーリングリストだったので、グループ内で共有されるという大きな恥に
なったが、私が気づけたのは、うち一人から反応があったからだ。
 彼は、私がメルアドを変えたいのかと、私の無言の真意を推察してくれた
のだった。

善意のリレー

 郵便受けの近くにゆうパックの小さな包みがぽんと置かれているのを見た
時、私は、自分宛でないのがポストに入っているのを取り出した人がそこに
置いたのだと思った。
 そういう時は、黙って正しい人のポストに入れてあげればいいだけなのに。
 ところが、宛先を見たら、印刷された住所の番地はどこにあるのやら。
 そうか、それでここに置くしかなかったのか。
 私は家に戻り、インターネットで検索して郵便局の〇一二〇に電話。
 配達の時間指定があと一時間後で切れることも伝えたら、私の任務は終了。
 いの一番で対処してくれるだろうと思っていたら、出かける用意をして外
に出ても、まだある。
 私はその荷物を持って出かけた。
 外出の目的は、郵便局で切手を買い、封筒に貼って投函することだったの
で、ついでだったのだ。
 用件を済ませてから局長をお願いするも、電話中。
 しばらく待つが、終わりそうにないということで、ほかの人が対応してく
れることになり、私はコールセンターに話したのと同じことを告げる。既視
感である。
 そして、
「もしかしたら、今頃、荷物を探しに来て、ない、と焦られているかもしれ
ませんが」
 と言うと、
「たぶん、それはないでしょう」
 コールセンターは遠方にあり、私の説明を聞いてもこの地の状況が飲み込
めなかったりするからと言われると、大難を小難にできるチャンスを掴めな
いような体制なのかと、いつか、こういう不手際の対象になるやも知れぬ潜
在顧客の私は微妙な気分になる。
 幸い、私が現物を持って来たので、
「ただちに集配郵便局に連絡して、対処させます」
 そして私の質問に対しては、配達員がほかの家への不在票を書くあいだに、
それを置き、そのまま忘れたのではないか、と自分なりの推察を聞かせてく
れた。
 しかし、帰宅後、集配郵便局の責任者から電話があり、まずは無事先方に
時間内に届けられたと礼を言われたあと、今回のことは、車から荷物を取り
出す際、するりと落ちたが配達員が気づかなかったのだろう、と言われた。
それを誰かが拾い、私が見つけた場所に置いたのだろう、と。
 そうか、私は誰かの善意のあとを引き継いだのか。
 ブラウスを買いに行き、白が良さそうだが取り寄せになると言われ、とり
あえず別の色を試着していたら、
「お客様。今、白が入荷しました」
 おかげで白を買えた今日。
 こういうことがあると、この世は偶然であり因果はない、と思っていても、
因果もたまにはある、と思いたくなるのだった。

シャーペン

 シャープペンシルと相性が悪い。
 万年筆で書く時みたいに斜めに持って書きたいからだ。
 芯がポキポキ折れる。
 すらすら書く十代を観察すると、シャーペンを真っ直ぐ立てている。向こ
うから手前に倒して書く猛者もいる。
 シャーペンの構造上の必然なんだろうけど、美しくない。
 そう言う私もボールペンなどは立てて書くことを受け容れいているので、
シャーペンにだけ辛口になる理由がわからないが、シャーペンは鉛筆の延長
線上で同類だと思うからかもしれない。 
 狭い枠内に書くために、初めて0.3のを買った。
 0.3と0.5を併用する。
 どちらを使う時も、最初の一文字を書き終わる前にポキッと折れる洗礼を
浴びたのち、力加減に留意することで、なんとか書き切る。
 その日は、ポキポキ折れるだけでなく、中で芯が詰まり、書けなくなった。
 シャーペンの先っぽの部分を取りはずすと、思った通り、これから出る態
勢にあるのは一本の芯だけのはずが、二本重なりチャック部分で渋滞してい
る。
 取り除いたら、0.5の方は元に戻った。
 0.3は駄目。
 このシャーペン、本体部分に何かのキャラクターが散りばめられていて、
それが何かはわからなかったが、全体を眺めた時にデザインがいいと思い買
ったのだが、私が書こうとすると、
「あ、ヒロアカ!」
 と高校生が声をあげたので、『僕のヒーローアカデミア』なる漫画のキャ
ラクターだと知った。家に帰って調べてわかったんだけど。
 私はヒロアカと知らなくても惹かれて買ったが、そうと知って買い求めた
若者と比べたら、喜びの熱量は彼らの足もとにも及ばなかったかもしれない。
 それでも、私は私なりに気に入っていた。
 期間限定のコラボ企画なので、もう売っていないし。
 なので、高校生に見てもらったが、やっぱり治らない。
 寿命と諦めるに忍びなく、メーカーに相談。
 原因を調査した報告内容が送られてきた。
 それを読んだら、穴があったら入りたいとはこのことだと思った。
 芯タンク内に入っていたのは0.3が一本で、残る四本は0.5だったらしい。
 そりゃあ、芯を取り除いても、シャーペンが芯を繰り出そうとして0.5を
し出したら、また芯が詰まって当然だった。
 間違った芯を入れただなんて、初歩以前のミス。信じられない。
 こういう体験をすると、人のミスに寛大になる。
 けど、遠い住所の人宛のゆうパックが外に放置されているのを見た時は、
悩んだ。

ジャニーズ事務所の会見

 九月七日、ジャニーズ事務所の会見を生放送で見た。
 最後の方は見られなかったので、東山紀之と井ノ原快彦(よしひこ)にあ
なたたちも被害者かという質問が出たという場面は見ていない。
 会見後は、いつもどおり、ネット上にいろいろな人のコメントが載り、読
む気はなくてもさらっと見ると、具体的な内容がなかったと言う人、良い会
見だったと言う人。
 でも、結局は、名の知れた人達の個人的な感想が文章になるだけで、それ
よりも自分はどう思ったかが大切だと思う。
 とは言え、より深く内情を知っている人の言葉は、同じ感想であっても頭
一つ二つ抜け出た意見となる。
 イギリス貴族の末裔が邸宅から遙か彼方を指差し、あそこまでがうちの地
所だと話すのを見て、なんでそう言い切れるのだろうと不思議だったが、緩
やかな土地の隆起や木立や流れる川の位置が目安になって間違えることはな
いのかなあと勝手に想像していた。
 ところが先日、イギリスの庭園の歴史を紐解く番組を見た。
 それまでは庭と言えば左右対象、幾何学的に樹木を刈り込むものと決まっ
ていたが、一人の庭師の出現で、初めから自然がそうであったかのような庭
に大きく切り替わったらしい。
 川の流れを変え、穀物倉庫を移動し、さる貴族の地所では理想のために村
をまるごと移転させたとか。
 そうやって造られた光景はあまりに自然なので、人の手が加わっていない
ように私の目に映ったのだ。
 でも、正しい情報を知れば、間違いは是正される。
 いじめられた方は一生忘れないが、いじめた方は忘れるというのもその一
つ。
 誰かからちょっといけずされただけでも嫌な気分になり落ち込むのだから、
いじめの被害に遭ったら、そりゃそうなるだろう、と頷ける。
 で、東山紀之だが、彼の後輩が彼からパワハラ、セクハラを受けたと著書
の中で書いているのは本当かとフランス人記者に質問され、東山は、
「事実ではないと思う」
 と即答。
 ただし、本は読んでいない。
 再度この件が出ると、もう思い出せないことも多いと彼が答え、私は加害
者は大抵こう言うなあと思ったのだった。
 そして、
「若気の至りだった」
 と言葉が続くと、彼に聞いてみたい質問が思い浮かんだ。
 じゃあ、あなたは、小中高で同級生をいじめる者達を、若さゆえ、と擁護
するんですね。
 揚げ足取りではない。
 心にないことは言葉にならないけれど、この言葉は、聞き逃すには重く、
しっかり議論すべきだと思うからだ。